東大の建築探偵団の藤森照信先生の最後の仕事 藤森先生はこの連載論文最終回とともに東大を去り、工学院大学に移りました。
七大学の建築 第十二回(最終回) 北海道大学植物園・博物館
北海道大学の前身は札幌農学校である。 それはだから、他の大学のように文部省の大学ではなく 北海道開拓をする官庁として農商務省内に設立された開拓使の学校からはじまったのであった。
明治十五年に開拓使は廃止されるが、それまでに造られた札幌農学校関係の建物は 札幌市街地の一等地に位置する。 時計台(農学校の演武場)しかり、札幌博物館(北海道大学植物園・博物館)しかりである。
時計台を設計したのは土木技師ホイーラーである。ホイーラーはクラークの弟子で クラークの後しばらく札幌で学生たちを教育する。その中に廣井勇がいる。 廣井は東大土木工学科教授となり、パナマ運河建設に携わった青山士(あきら)や信濃川大河津分水の仕事をなしとげた宮本武之輔などを教育する。
北海道大学植物園・博物館のほうは おそらく帰国しボストンで土木技師の仕事をしていたホイーラーが間にたって ボストンの建築家ベートマンが設計したということである。 ただ、ベートマンは日本に来ていない。米国から彼のサイン入りの図面を送ってよこした。
藤森先生によると 博物館の建築様式はゴシック様式であった。 当時の世界の建築では、もう一つの建築様式として、ギリシア・ローマのクラシック様式があった。 設計者ベートマンが日本に来なかったせいか、博物館は全体がゴシック様式になっているのに 壁面の作り方だけがクラシック様式になっているという。
學士會会報 第八八三号
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