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[No.15490] 初恋人の魂追った啄木の生涯 投稿者:男爵  投稿日:2010/07/14(Wed) 13:55
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石田六郎:初恋人の魂追った啄木の生涯 
           啄木の精神分析

1912年、埼玉県飯能市に生まれ、東北帝国大学医学部卒、岩手県で開業の後、福島県須賀川市に転出し、この本を書く。1971年逝去。

結論だけ紹介します。

大形(おほがた)の被布(ひふ)の模様の赤き花
今も目に見ゆ
六歳(むつ)の日の恋
   (石川啄木 一握の砂)

この歌に歌われた少女は
啄木の幼なじみ、初恋の人であった。
その名は沼田サダ子(明治16.7.18−26.10.11)
大工沼田末吉の長女であったが、父の再婚により継母に育てられた。

啄木はおとなしい子だったので、幼いときよく沼田サダ子と遊んだことを、同年代の女性が目撃している。
(秋浜なほ、白沢スワ両氏が直接著者に表明した)
継母に育てられたため、身なりはかまってもらえず、したがって啄木の妹光子は
サダ子は汚れた格好をしていて被布など着せてもらえなかったから、この歌の女性ではないと否定している。
(これに対して、著者は三歳下の光子は、兄啄木が五、六歳の頃に幼なじみのサダ子と遊んでいるのを見ているはずがないので、むしろ同年代の女性の目撃のほうが信頼できると光子の発言を否定している)
ジフテリアで10歳で亡くなった2歳年上のサダ子を、啄木は生涯忘れることができなかった。

著者は、啄木の小説「二筋の地」の藤野(ふじの)という少女のモデルは、沼田タザ子だと推定する。
なお、藤野とは啄木が北海道から東京に帰るとき乗った船が牡鹿半島萩の浜で5時間停泊した際に、宿屋で朝食を食べたときの給仕をしてくれた二十歳の女性の名を使ったのである。

何がなく
初恋人(はつこひびと)のおくつきに詣(まう)づるごとし。
郊外に来(き)ぬ。
   (石川啄木 悲しき玩具)

この歌の初恋人は決して妻節子ではない。
節子は啄木死後一年で死んだのだから、琢木生前に節子のおくつきのあろうはずがない。
この歌は、啄木の無意識界において、次の歌
「なつかしき故郷にかへる思ひあり、久し振りにて汽車に乗りしに」と密接につながっているものである。

   ★     ★

啄木は故郷に帰り、父の住職をしたお寺に埋葬されている
初恋の人沼田サダ子の墓参りをしたかったのではないかと
この本を読んだ、岩手大学教育学部心理学の大沢博教授は推定したわけです。

この著者のインスピレーションをヒントに、大沢教授は啄木の短歌を詳細に丹念に分析して
啄木の深層心理を解き明かし、啄木の有名な歌
「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」の謎を解き明かします。


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