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[No.15501] 調査されるという迷惑 投稿者:男爵  投稿日:2010/07/17(Sat) 08:32
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宮本常一・安渓遊地:調査されるという迷惑 みずのわ出版

民俗学者たちが調査と称して、いかに地域の人たちに迷惑をかけているか
ということを述べた本。
著者も学者のはしくれなので、反省を込めて書いている。

島の人たちと話をしているうちにしだいにうちとけ
島を「研究」に訪れる「バカセ」たちの行状について島の若者たちが安渓遊地に語った内容は宮本常一の言葉を思い出させるものだった。
「調査というものは地元のためにはならないで、かえって中央の力を少しずつ強めていく作用をしている場合が多く、しかも地元民の人のよさを利用して略奪するものが意外なほど多い(たとえば、ダム水没予定地の村での調査が新聞に出ると、骨董屋が目をつけ、調査が終わり村で民俗資料館を作ろうと半年ももたもたするうち、大半の民具は姿を消す)」

宮本常一は終戦直後から昭和27年頃まで、着替えと紙くずのような書物を二、三冊入れたリュックを背負い日本各地を歩き回る。
当時は列車にヤミ屋が乗っていた。取り調べ検査がしばしばあった。米沢駅で調べられた宮本は巡査から「荷物はこれだけか」「おまえはヤミもようせんのか」と怒られ、山陰線鳥取駅近くの検査で「おまえヤミもようせんとはバカだな」と言われたという。
ヤミをしない宮本は誉められるどころか叱られた。これから、検査する立場にある者の態度がうかがえる。
学術調査に出かけていく者にも、これに似た感覚がある。調査する者の方が、される者よりは偉いという感覚がどこかある。
ある所での調査の時、以前に来た有名な学者が土地の人に「こういうことはないか」と聞いて「ない」と答えると大変不機嫌になり「ないということはないはずだ。あったが消えたのかもわからないし、あなた自身が体験していないだけのことかもしれない」と叱るような調子で言ったという。それが、この人はよほど身にこたえたようで、宮本が訪れると「もう調査されるのはこりごりだ」と話したという。
調査者が熱心なあまり、しつこく質問すると、問いつめられて答えようがなくなってしまう年寄りもいた。「あれでは人文科学ではなくて尋問科学だ」と人は言う。

調査者は、相手を自分の方に向かせようとすることにのみ懸命にならず、相手の立場に立ちものを見て考えるべきだ。
調査にあたり地元の人がいちばん嫌うのは、約束をやぶったり、借りた物を返さなかったりすることだと宮本も反省する。
宮本は、T大教授の村落内の現象を搾取と被搾取の形で設問しようとするのは、調査に名を借り実は自分の理論の裏付け資料のみを求める行為で切り捨てられた事実も考えるべきと指摘。
 一時期はやった、○○的歴史観。

調査される側からの要望
調査が終わったら、必ず報告したものを送ってほしい。これは最低限のこと。
まあ、最近は以前と違ってだいぶよくなってきた。
でもとくに、話してる人が高齢者の場合、できあがった資料を「はい、できあがりました。お送りします」というのでは、これだけでは寂しい。
本当は「あなたに聞いた話は、こういうふうにデータとしてまとまりました。これには、こういう大事な意味があるんですよ。ご協力ありがとう」とそういう形でもって来てくれるのでなければ、本をもらっても値打ちがわからないし、大きな報告書をもらっても、島の人はそれをひとつひとつ全部読む気力はない。
そこまで努力してくれないといけないと思う。そこまでちゃんとやれている例はほとんどない。

同じ集落でも伝承にはさまざまな流れがあり、それらが「みんな違ってみんな普通」とは受け入れられないのだ。
ある祭が国指定の無形民俗文化財に指定されたのを受けて、公式記録をつくることになったとき、少数派の伝承を参考のため提出したが、その中に祭の歌の歌詞の訂正にあたる部分があったことから、何が正統かという激しい議論が起こった。
著者安渓遊地は公民館の臨時総会に呼び出され、どちらの伝承が正しいのか意見を求められ、結局一切の変更は認められなかった。
ある地域での伝承をなんらかの形で公開することを外部から応援する時、その社会にいつもは隠れていた複数の伝承をもつ人々の間の主導権争いのようなものが、一挙に吹き出すことがある、ということに気づかされた。誰もが公表への機会が平等に得られない現状では、外部の援助者につながることを通した特権獲得へ向けた権力闘争といった様相を呈することがある、という教訓を得た。

基本は、調査対象に対する人間としての誠意と友情を貫くこと。調査の許可、公表の承認、成果の還元。これらなしにフィールド・リサーチはゆるされない。
する側の一方的な略奪の構造を変えていくように、ひとりひとりの研究者が努力し、その力をあわせていけるようなネットワークをつくること。
個人としてできることとしては、友人を作り、その日にお世話になった方々との長いおつきあいをお願いし、今も連絡を保ち続けることであろう。