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[No.15523] 宇野克明:医者の品格、医者の欲望 投稿者:男爵  投稿日:2010/07/22(Thu) 12:22
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緊急提言
 こんな人は、医者になるな、させるな!
このままでは日本の医療は確実に崩壊する。
それはすなわち国民の生命の危機を意味する。
医者の減少が根本的な原因ではない。
本当の原因は、医者としてのモラル・品格の喪失だ!

 それは医者にさせたい親の無知と勘違いからはじまった!
「医者は尊敬される」「医者はエリートである」「医者はセレブになれる」
そう信じて疑わない親たちは、わが子に英才教育をする。
その結果「頭がいいだけのバカ」な医者が大量生産される。
頭でっかちで、世間知らずの医者は
患者を不幸にするだけでなく、自分自身も不幸になるのではないか。

主な内容を示す目次
第一章 なぜキミたちは医者になりたいのか?
第二章 医者の品格
第三章 それでも医者になりたいですか?
第四章 医者は頭でなく体が資本
第五章 悪夢のような患者たち
第六章 医者はセレブか?
第七章 医者という仕事は面白いのか?
第八章 医者の評価とリスク
第九章 どうしても医者になりたいのなら.....

時間の都合で一部だけ紹介します。

第三章 それでも医者になりたいですか?
 手先が不器用な人は医者になるな。手先が不器用とはどういうことか。外科医の例で言えば、手先が器用か不器用かという問題だけにとどまらない。いくら器用でも、気が短くて集中力がなければ、結果的に不器用な医者と大差なくなってしまう。
 がん医療になると手術は5〜6時間の長時間に及ぶこともしばしばだ。はじめは手際よくても、中盤あたりから疲れて集中力を欠くような医者もいる。そのため、血管を傷つけ大量の出血を招く。その処理でますますイライラを募らせるようだと、そのときの不手際はとても傍らで見ていられない。

 医者は常に感染症の危険にさらされる。
 A型・B型・C型などの肝炎ウィルス、エイズやSARSや鳥インフルエンザや新型インフルエンザなど、とにかく医者は感染者に接触する機会が最も多いので、どんなに医療知識があり、どれほど清潔に保つなどの自衛策を講じても、目に見えない飛まつ・空気感染の確立は、一般の人よりはるかに高い。
 患者の血のついた手術器具や針を間違ってさわってしまい感染した例もある。外科医が手術するときに手にはめた手袋に穴が開くのはしょっちゅうで、その穴から感染してしまうこともある。

 日本人はエックス線に神経質な人が多い。患者の中にはCTやレントゲンを撮りましょうというと「先生、放射線被爆、大丈夫でしょうか」と聞いてくる人がいる。
 放射線の過剰照射で命を落とす事故が過去に何度もおきているから、患者が心配するのもムリはない。しかし本当に気をつけなければならないのは、むしろ医者のほうだ。
 患者がレントゲンをたまに撮影する程度ならさして問題にはならないはずだ。ところが医者の場合、放射線にさらされたままで治療や処置を行う機会が非常に多い。特にX線透視台など、長時間にわたって放射線を出しっぱなしにする部屋での検査や治療の場合、時折たった1回きりの撮影を行う患者の比ではなく、その何十倍も何百倍も浴びてしまう。
 もちろん被爆防護服のような鉛が入った着衣を身につけるが、この着衣も身体の中心部だけを覆うもので、全身を被爆から守ってくれるわけではない。

第五章 悪夢のような患者たち
 ごく普通の患者なら、身体を清潔にし、きれいな下着を身につけて診察に訪れる。
 ところがなかには常識のかけらもない患者がいるのも事実である。
 具合が悪く風呂に入られないのかもしれないが、とにかく体臭はすごいし、下着は汚れている。おかけにこういう人に限って態度も悪い。
 このほか身体が病気になる人は、心も病んでいることが多い。そのせいか、最近はわがままでむちゃくちゃなことをいってくる患者が増えてきているようだ。
 インターネットの普及のせいで、患者が病気について調べてくることが多くなったのは喜ばしいことだが、なかには医者を困らせる人もいる。中途半端に知識をつけてきて、実はぜんぜんわかっていないことがある。
 「わかっていないですね」ともいえないし、不満ならよその病院で診察してもらえばいいのだが、そんなことは言えない。さんざんクレームをつけたわりには反省の色なく、日をおいてまたやってくるということがある。

第八章 医者の評価とリスク
 多くの病院は赤字経営だが、医薬品メーカーや医療機器メーカーなどの周辺産業はきっちりと収益を伸ばしている。
 医療業界で一番偉いのは誰か。大学医局なら教授が一番偉いのは確かだが、収入面を尺度にするなら完全に埒外に置かれる。
 医療業界の中においても医者は少しも偉いとはいえず、とりわけ臨床医というのは末端に位置する。医療業界で偉いといえるのは、医薬品メーカーや医療機器メーカーであり、最たるものはこれらを管轄している監督官庁のキャリアたちにほかならない。
 役所時代は公務員だから給料はそれほどでないが、定年を前に退職し、いわゆる天下りを敢行する。天下り先は、国立の大学病院や大規模の公的施設もあるが、大多数は医薬品メーカーや医療器材メーカーといった旨味のあるところだ。
 国家公務員の場合、リタイア後2年間は在職中に深く関わった企業天下りできないが、その期限をクリアすれば簡単に就職できる。メーカー側も、そうした元キャリアを迎え入れる意味があるから、受け入れるのである。
 みんながやりたがらない辺地医療(昔から僻地や離島に医者は行きたがらなかった。家族の教育、情報から遠くなる等理由を挙げるが、本音は収入が激減するからだろう)

 たいがいの患者は病院にかかるとき、何科を受診すればいいのか正しく判断できない。たいていは、自覚症状から「おそらくこれだろう」と推察して診察を受ける。
 比較的大きな病院なら最近は、総合診療科、いわゆる振り分け外来の総合医(ジェネラル・プラクティショナー GP)を配置しているところも増えており、患者はそこで問診を受けてから適した診療科に回される。
 GPになる医者はオールマイティだから、患者からすれば非常にありがたい存在である。ところが多くの医者にとって、GPは自ら買って出たいと思う役務ではない。外来の窓口で「あなたはこちら、あなたはあちら」と通行案内人のようなことをするよりは、「呼吸器の専門医」「がんの専門医」と胸を張りたいのである。
 患者サイドが医療サイドに求める便利さ、つまり「こうしてくれたらありがたい」という希望と、医者のプライドというものはなかなか相容れないものだ。ゼネラリスト(総合医)よりはスペシャリスト(専門医)としてエラそうに仕事をしたいのが、医者という人間の本質ではないだろうか。

 身内をがんで亡くし、その悔しさからがんの克服をめざして医者になった人、充分な医療が受けられない貧しい国の人々を救いたくて医者になった人、高齢者の多い僻地に自ら志願して飛び込んでいった医者。
 医者の中には報酬も地域も選ばず、高い使命感に燃えてもち前の能力を発揮する人もいる。しかし残念ながら、高いモチベーションをもって医者になった人は少数派だ。
 生活の安定や社会的地位にこだわる医者はたくさんいても、患者の便利を優先し、自分を犠牲にして本気で取り組む医者はめったにいない。
 最近多くの医者の常として、リスクを回避し安全地帯に逃げ込む傾向がある。医療訴訟やスキャンダルに巻き込まれる可能性が少しでもあれば、たとえ治療対応できることであっても、あえて火中の栗を拾うような真似はしない。