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[No.15562] 若山牧水ものがたり 投稿者:男爵  投稿日:2010/07/28(Wed) 10:53
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楠木しげお文 山中冬児絵 銀の鈴社発行

石川啄木が亡くなるとき
若山牧水を枕元に呼んで
「一握の砂」(明治43年12月、東雲堂書店)からあとの歌を
東雲堂に売り込んでほしいと頼む。
承諾した牧水は、自分の代わりに土岐善麿(哀果)が東雲堂に行ってもらうように頼み
土岐がさっそく行って話をつけて、原稿料20円を啄木に届けた。
こうして
「悲しき玩具」は啄木の死後2ヶ月たった6月に出版された。

明治45年4月13日
啄木危篤として呼び出された牧水が駆けつけると
枕元には、金田一京助と節子がいた。
これならだいじょうぶと勤めのある金田一が帰ってから
啄木の容態が急変して亡くなった。
臨終を見届けたのは 妻節子、父一禎、長女京子そして若山牧水であった。

大正15年11月末に
若山牧水は北海道旅行の帰りに
北上に寄る。
http://www.city.kitakami.iwate.jp/sub03/gakushu/gakushu02/page_1336.html
12月25日、大正天皇が崩御し、昭和となる。

晩年の牧水はさすがに疲れて、酒を飲むのもひかえようと思うと母に言う。
この本によると、毎日平均2升5合飲んでいたというからすごい。
母親は、牧水は酒で鍛えた体だから、飲まないといけないと言ったという。
どうやら、酒からのがれられない(アル中の)息子をみて、飲むことをすすめたらしい。

晩年の牧水は家族にも恵まれたが
全国にファンがいたから旅は続けたらしい。
牧水は妻を連れて朝鮮にも行った。