淡文社の本
まえがきから紹介 ・人件費を抑制しながら人手の確保という自治体のねらいのはずが ボランティアの導入によってかえって学芸員の仕事が増えるという誤算。 ・ボランティアは意見を言わないでほしいと学芸員自身が考えるようになった。 ・ボランティア集団が美術館に対する圧力集団となることを危惧する考え方も美術館にはある。
著者の一人は、美術館のボランティアについて、二つの疑問を提出している。 ひとつは、美術館のボランティアが実際に担っている仕事(ギャラリーガイド、監視、ワークショップ補助、資料整理、データ入力など)はどれも、本来的には学芸員など美術館の職員が通常の業務として行うべきものである。 いまひとつはそのこことも関係するが、美術館における今日のそういう活動をボランティアと呼ぶことの違和感である。
ボランティア導入には、美術館の恒常的な財政的困窮と人手不足を緩和する目的も否定できない、というよりは、自治体はむしろそれに大きく期待しているということである。
ボランティアの声として 「美術が好きだから」「安いパートよりは美術館ボランティアのほうが、何となくいいような気がして」など、他のボランティア活動にはみられない「あこがれ」のような動機が目立つ。 「勉強になるし、無料のカルチャースクールみたいなものですよ」と言う人もいて、現在の状況に満足しているということはわかるのだが 「あこがれ」があるから、美術館の指揮や指導のもとに、受け身でやってしまう、そんな印象を持つ。
ボランティアが美術館に対する圧力団体になること」を警戒しているのか ボランティア同士が話し合いの場を持ったり、自立した組織になっていくことに対して、美術館側や学芸員が過度に神経質になっている印象もある。
「美術館が好き」という動機で美術館ボランティアになった人の場合、美術館で働くということだけで満足してしまうことが多い。 美術館ボランティアが責任を伴う仕事であることを意識して参加しているかどうかが問題である。 とくにギャラリーガイドは、一般の人と美術館をつなぐ、とても重要な仕事である。そういうところで、ボランティア側に明確な責任意識があれば、自分の都合だけで突然ボランティア活動を休んで美術館に迷惑をかけることはないであろう。
受け身だけではなく、美術館と社会の橋わたしとしてのボランティアの可能性をうたっている。
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日本の場合 美術館のボランティアは、期待されることはお手伝いであって 張り切りすぎて、その役割をこえて、やりすぎてもらっては困る というむきがありそうである。
誰のためのボランティアか、何のためのボランティアか まず初めに明らかにしたほうがよさそう。
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