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[No.15949] 東方に火をつけろ 投稿者:男爵  投稿日:2010/10/21(Thu) 05:54
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東方に火をつけろ

レーニンの野望と大英帝国
ピーター・ホップカーク 京谷公雄訳

1920年カスピ海バクーで、帝国主義諸国、とくに
イギリスに対するイスラム教徒の十字軍を結成しようとする
もくろみで、コミンテル議長ジノビエフの主催する
被抑圧者大会が開かれていた。そこには中近東や中央アジア20カ国
のイスラム教徒の代表者1800人が参加していた。
(ジノビエフはレーニンの後継者と言われていたがスターリンに粛正された)
ジノビエフのアジ演説は一時的興奮を与える効果はあったが、
汎イスラム主義の唱導は両刃の剣になる恐れをはらんでいた。
中央アジアやコーカサスからやってきた代表者たちは
帝政ロシアの桎梏から解放してやるという約束に踊らされて協力した
にもかかわらず、実際の自治権獲得の運動は
ボルシェヴィキによって粉砕され、植民地支配の主人公が
ツァーリストからコミュニストに交代したにすぎないことを
身をもって味わわされていたからである。

東方に火をつけろ その総括

帝政ロシアのあとのレーニン・スターリン時代でも
英国との熾烈なスパイ合戦は続いた。
モスクワが共産主義を手段として、周辺国を支配しようとするたくらみは
インドに対してはガンジーの協力が得られず失敗。
外モンゴルについては、思いがけず中国からの独立運動を助けた
(ウンゲルン・シュテルンベルク男爵ひきいる)白軍の成果を
そっくりいただくという幸運で、ソ連の仲間にできた。モスクワは外モンゴル
を支配できた。祖先の崩壊でやっと外モンゴルは独立できた。
インドを共産化する計画は無理だと考えたスターリンは
中国に目を向け、毛沢東中国を実現したから、成功したといえるかもしれない。
中央アジアは、フルンゼ将軍の活躍でソ連圏になった。
フルンゼは、コーカサス人を使って中央アジアの勢力を押さえることに
成功した。のちに60年後アフガニスタン戦争では同じ方法を使ったが失敗した。

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フルンゼはキルギスで生まれたロシア人で
キルギスには生家が記念に残されていた。