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[No.16007] 水戸黄門紀行 投稿者:男爵  投稿日:2010/10/31(Sun) 09:33
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助さん、格さんをお供に
全国漫遊したのはフィクションだが
水戸黄門は
水戸領内と江戸周辺は、当時の大名としては
よく歩き回ったらしい。

歴代水戸藩主のうち、水戸生まれは光圀ただ一人。
光圀は久昌院谷久子を母として生まれるが
父の意向で水子として流される運命にあったのを
三木之次(ゆきつぐ)夫妻の計らいにより誕生し養育されたという。

四歳まで三木家の子として育ち
認知されて五歳で水戸城に迎え入れられた。
のちに藩主となってから、光圀は11回しか水戸に帰っておらず
藩主としての在国期間は合計しても七年半しかない。

この本には
ガイド編「黄門さま史跡めぐり」がのっている。
・水戸市内を歩く
・常陸太田と里川の渓谷
・陸前浜街道に沿って
・久慈川の谷を
・那須街道をたどる

陸前浜街道とは国道六号、列車で行くなら常磐線である。
いちおう茨城県の範囲なので、福島県県境の北茨城市までである。
 野口家観海亭 野口雨情生家は実は光圀ゆかりの家でもある。
 代々磯原村の郷士だった野口家は、この地方へ旅行した光圀の定宿であった。
 野口家では、光圀のために、太平洋と天妃山の眺めがよい楼閣を建て、光圀はこれに観海亭の名を与えた。
 天妃山 観海亭の正面の海岸に樹木に覆われた岩山が太平洋に突き出ているが、これが天妃山である。
 古くから沖を航行する船の目印となっていたが、光圀が灯明台を設けて航路標識とし
 明僧の心越が招来した天妃神をまつり海上守護の神とした。

那須街道をどるところには、竜譚淵がある。
那珂川の支流、藤井川は下古内あたりで蛇行し渓谷美を見せる。
鮎釣りの好きな光圀が藤井川の竜譚淵で鮎釣りをしたという伝説がある。
 泉鏡花の竜潭譚を思い出した。、

諸国漫遊をした水戸黄門さまが
(8時半になると)悪代官に見せる葵の印籠だが
もちろん、水戸黄門漫遊記は後のフィクションだが
明治までは印籠を見せる場面はなかったという。
これはどうやら
「春香伝の暗行御使の馬牌」の話の影響を受けたらしい。
悪人どもめ、これが目に入らぬか
というわけですね。
そして、この暗行御使の馬牌も手本があるらしいのです。
そういうことをまじめに調べた人がいます。
 それはまた別の日に。