樋口隆康は、福岡県に生まれ、第一高等学校を卒業後、京都大学文学部で考古学を専攻する。 1957年には戦後最初の日本人学者として敦煌を訪問。 インド、パキスタン、アフガニスタンなどシルクロードの仏教遺跡の調査・発掘にあたる。 京都大学名誉教授である。 かつて、私が奈良県立橿原考古学研究所附属博物館を見学したとき 当時橿原考古学研究所所長だった樋口隆康の著書を買ってきたことがある。
この本は詳しく楽しい内容であるが 例によってメモだけ書いておきます。
アフガニスタンのカブールは現地の発音にしたがうならカーブルのほうがよい。 最初の日本のマスコミがカブールと誤表記してしまったからいまだにカブールだが この著者は、きちんとカーブルと書いている。、
アフガニスタンの発掘で日本大使館の日本大使に世話になったが 大使によってはそうでない大使もいたこと、全然協力してくれなかったヒドイ大使館員の名前を書いているのはいかにも学者らしい。
この本ではなくて、私が橿原考古学研究所附属博物館を見学したとき 買ってきた本に書いてあったのだが 著者がまだ若くて大学院生か無給の研究者のころ ある発掘に携わって、なかなかの成功をあげたのだが 研究室の教授が、自分ひとりの名前で報告書などを書こうとしたそうである。 実際に発掘に携わった若い研究者たちの名前を記載しないで、自分ひとりの功績にしたかったらしい。 もっとも、発掘の費用などを外部から集めたのは教授の力なのだから 現地に行かなくても、それなりの功績はあったと教授は考えたのであろう。
ところが、そのとき発掘に立ち会った助手がそれはおかしいと告発したらしい。 そんなことをしたら教授ににらまれて、昇格もないし、研究者としての地位はあぶなくなるのだが、助手も何度も教授からそんな扱いをされたせいか我慢できなくなったらしい。
昔のそんな話を活字にできたのも、著者が京都大学教授であったからで、教授になる以前ならなかなか危険な行為だったろう。 先代の教授の悪口にあたることを書かない研究者もいるが、この著者は真面目な研究者なので、わりあい正直に書いているように思われる。良いことも悪いこともみな記録しておきたい性格らしい。
話は変わるが 今年ノーベル化学賞を受賞した北海道大学の名誉教授は、受賞のときに 「ここまでこれたのは同僚と学生たちのおかげだ」というようなことを述べていたが 実験のアイデアを立てても、実際に毎日実験してデータをとるのは大学院の学生たちなのである。 忙しい教授がみずから実験室にこもって実験をする暇はない。 講義とか学内外の会議に追われて、とても試験管を振る時間はない。 しかし、長時間の実験の成果を発表するときは教授の名前で論文を発表する。 せいぜい良心的な教授なら共同研究者としての大学院生や部下の研究者の名前を連名にするくらいだろう。
研究者がまったく一人で研究をして、単独で論文を発表するなら それは明確な個人の成果になるが なかなかそういう例は少ない。 一人の仕事はたかがしれている。
共同で研究して、うまくまとめて、若い仲間たちや部下の者たちの世話もできる研究者でなくては、これからの世界では生きていけないだろう。 大学の世界も人間の社会なのである。
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