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[No.16043] 東光博英:マカオの歴史 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/05(Fri) 11:02
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そろそろ一年前になる
マカオ旅行を思い出しながら......

海賊退治に協力したから、あるいは明朝に税を納めたから
ともかくポルトガルはマカオに居住地を得られた。
マカオの運命は母国ポルトガルの運命のまま、ときにはオランダと争ったりもした。

日本での2年間の滞在でともかくキリスト教の布教ができたザビエルは
戦乱の日本での布教よりも、まず日本に影響を与える中国からキリスト教化することを考え
いったんインドに戻り、日本に渡る後続の宣教師らと一緒に中国に向かった。
途中で彼らと別れたザビエルは、マカオのやや南方にある上川島で入国の機会を待った。
しかし、許可がなかなか下りず、そのうちに病にかかりマカオの手前で亡くなった。
ザビエルは、マカオの建設以前に亡くなっているので、直接の関わりはないが
マカオの聖ジョセフ修道院にザビエルの遺骨の一部が保存されている。
これは、かつてキリシタン迫害下の日本に送られた遺骨であったが
迫害の激化でマカオに安置されることになったものである。

マカオではポルトガル人は学院教会なるものを建て、高等教育(ポルトガル語、ラテン語、古典学、修辞学、倫理神学)を行った。
  学院の教会では、有資格者に学位が授与される。その志願者は、各々の地より
  友人や代父を伴って訪れるが、ヨーロッパ諸大学の習慣通りに、皆、馬に乗り
  シャラメーラが先導する。
   「シャラメーラ」というのは木管楽器の一種で、現代のポルトガル語では
   そう発音するが、当時は「チャルメーラ」であったと考えられる。
   この名称は日本語に取り入れられ、今日、夜鳴きそば屋が吹く楽器「チャルメラ」   として知られている。ちなみに、このチャルメラは名称こそポルトガル語に
   由来するとはいえ、楽器自体は16世紀末に中国から伝来したものであり
   ポルトガルの楽器シャルメーラが普及せず、名称だけが転用されて今日にいたった。 

聖パウロ学院教会(マカオ観光の代表的存在)
 いわゆる聖ポール天主堂のことを、著者はこう呼ぶ。
 聖ポールは英語読みだから、マカオの歴史にふさわしくない。聖パウロであろう。
  ザビエル:バスク人なので、本来はエチェベリーア
  マゼラン:ポルトガル人、言語の発音にしたがえばマガリャンイス
丘のうえにそびえる廃墟の前壁の最下段の中央にある入口の上部には
ラテン語で MATER DEI(神の母、つまり聖母)と記されている。
これが教会の正式名称なので、ポルトガル語では「マードレ・デ・デウス」という。
1603年にマードレ・デ・デウス学院教会が竣工してから、いつしか聖パウロ学院教会となった。
1835年の大火により、今ではわずかに前壁と石段を留めるばかりである。

今日、出島と聞けば多くの日本人はオランダを想起するであろうが
出島はもともとポルトガル人を収容するために建設されたのであり
オランダとの関係は、ポルトガル人が日本から退去した後の1641年
幕府の命によってオランダ人が商館を平戸から出島に移したことに始まる。

ポルトガル船は日本から締め出されたため
マカオと日本との間の貿易などの交渉はここに終わり
以後マカオの衰退の道が始まる。
ただ、宗教の面でマカオは、主に中国に対する布教の基地として機能し続けた。


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