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[No.16049] 森繁久弥:帰れよや我が家へ 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/06(Sat) 06:14
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森繁久弥、帰れよや我が家へ、文芸春秋

われに来よ と主は今
やさしく呼びたもう
などて 愛の光を
避けて さまよう
帰れよや 我が家へ
帰れよや と主は今呼びたもう
  (賛美歌517)

人は感情で結ばれ、理性によって離婚する。

「佐渡島他吉の生涯」貧しい男が明治36年頃
マニラのバギオ高原に通じるベンゲット道路を敷く
労働者として彼の地に渡る話(織田作之助作)
からゆきさんだけでなく、多くの男たちが、ニューカレドニア、
ボルネオ、ニューギニア、南洋の島々にその生涯を埋めている。

人は、その半生をひたすらモノを得るために生き、あとの半生は
小出しに費い果たして零になって終わる

奥野前国土庁長官の靖国神社参拝 隣国がイチャモンつけるのは致し方ないが、
日本の野党まで夜郎自大になるほどのこともなかろう、と常識的に思うのである。
同時に中国の識者もどうかと思われる。

満州にいたとき、誕生日を我が家で祝ってもらう習慣ができた。
日満蒙露それにアメリカ二世、アナウンサー・プールが集まって
飲み放題、いいたい放題をする。
せっかく客が来るのに、四歳の子どもが白い壁に鉛筆で落書きを
したので怒った。泣いている子どもを見て満人アナウンサー張さんが尋ねる。
わけを聞いた張さん「あの壁を見なさい。大体白いじゃないか。大体白きゃ
いいじゃないか。怒ることはありません」
中国人の大きさをいやというほど知らされた思いがした。

あの心の広い中国人がこんなイチャモンつけるのか。大体白きゃいいじゃないか
というのが私の真意だ。そうそうコマいことに言いがかりをつけられては、
言論の自由がチヂム思いがするばかりだ。

満州のアナウンサーになるとき
三つのテーゼ(指針)をもとうと心にいいきかせた。
・何でもいいから文句を言わず、人の三倍働いてやろう
・今からでも遅くない。できるだけ勉強して無為に流れた青春の日々を取り返そう。
・一切の過去を、良かれ悪しかれひっくるめて忘却の淵に捨て去ろう。

戸田の漁師がマリアナ沖で魚を捕っていた。気象予報では、台風はマリアナ沖を
通過しないということだった。しかし、予報は間違っていた。台風はまともに
漁船団を襲った。十六歳だった青年は海に投げ出され板きれにつかまって次の日
の昼、もう限界だと思ってあきらめかけたとき通りがかりの船に助け上げられた。
気がついてから船長に、つかまっていた木ぎれはどうなったか聞いたが
知らないという。どうしても木ぎれが気になった青年は、船長の足にしがみ
ついて、助けてくれた場所にもどってほしいと頼む。とうとう船長もそんなに
言うならと、四時間きたところをひきかえす。八時間かかって太平洋の真ん中に
もどったというわけだ。なんとそこには木ぎれはなく、筏があった。その筏
に載っていた瀕死の六人の漁師たちが救われた。