ロータームント著、佃堅輔・佐々木滋訳 シャガールと旧約聖書
絵画を鑑賞するとき この絵はどんな意味があるのだろうとか 作者は何を考えて描いたのだろうとか そういうことを考える必要はない、単に自分の率直な感想をもてばよいという人がいるが それは親切なセリフではないということが この本を読むとわかる。
専門家もやはりシャガールの絵を見ると これは何を描いたのだろうか 画家はどういう思いでこの絵を描いたのだろうか などと気になるらしい。
シャガールの絵は謎なのである。
シャガールは心に浮かんだことを絵に描いた。 彼の心には幼いころの思い出、ロシアのユダヤ人の住んでいた故郷 それから東方ユダヤを想うこと、現実の周りを見たときの激情とか感動等 さまざまなことを一枚の絵に描いたのである。 それは、完全に異なった時間と完全に異なった場所で生じた体験が、一枚の絵に焦点のように集められている。 (時間と空間を越えて、一枚の絵にまとめた。インターネットのように時間と空間を越えて)
シャガールの絵に、ときとして十字架にかけられたキリスト像が見られるが それは戦争で悲惨なめにあったり、彼が愛したロシアの故郷の破壊によって いためつけられたイスラエルの民のために受難を受けた象徴として描いたらしい。 シャガールの娘が言うように、シャガールは決して新約聖書を読もうとしなかった。 シャガールはあくまでもユダヤ教徒であって、キリスト教徒ではない。 それでも、迫害され続けてきたユダヤの民の救いをユダヤ人のキリストに託したのかもしれない。
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