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[No.16260] 山本多恵子:啄木と郁雨 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/12(Sun) 10:03
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函館の宮崎郁雨はなぜ啄木とその家族の経済支援をつづけたのか
新潟県新発田出身の郁雨の一家も
実は故郷でくいつめて函館に新天地を求めて移住してきたので
古里を追われるごとく函館に来た啄木には同情したからであろうという著者の
説明にはなるほどと思った。

新発田では代々の素封家であった宮崎家も郁雨の祖父が財産をあらかた失い
郁雨の父は家族を新発田に残して単身函館に出稼ぎに行って、そのうち家族を
函館に呼び寄せたという。
やがて味噌醸造業で成功し、宮崎家は函館で裕福な生活を送るようになる。

この本では
釧路時代の啄木が芸者子奴と病院の薬局で働いていた梅川操に出会ったことを
書いているが、子奴がそのあと、啄木に対する否定的な発言をしたことにはふ
れていない。

この本では
啄木と雨情との関係についてもあつかっている。
特に著者の雨情論はおもしろかった。

著者によると
世の中の野口雨情論には、雨情が二人いるのではないかと思われるほどに、そ
の像が分裂している。それは雨情が持った二つの家庭に起因するのではないだ
ろうか、つまり最初の妻(高塩)ヒロと二度目の妻(中里)つるの視点の差異
である。
無頼に泣かされついに愛情を注がれることのないままに離縁にいたったヒロが
心に納めた雨情と、かなりの年少ながら雨情の性格をよく知り、彼をたてて彼
に従い一家の長としての自覚をうまく引き出し、生涯をかけて人格者雨情を作
り上げていったつるが伝えようとする雨情とでは、おのずと印象が異なってく
るのは当然だろう。

また雨情自身が分裂していたのではないかと、著者は分析する。
虚無と憤りの無頼の詩人から、柔和でむしろ教訓臭のたちこめる教育者あるい
は人格者まで、このような二つの人格が同居していたのではないか。
そうすると、雨情を考えるその時期に、どちらの人格がより表れたのか、
いずれにしても、我々はそのいずれの雨情も知らないといけないだろうとい
うのが著者の考えである。

これに対して
まず最初に各自の雨情像があって、そこからはみ出す部分については徹底して
切り捨てるそれが詩人野口雨情の語り伝えられ方があった。
このことについて
野口雨情研究を一手に引き受け発展させたとされる、実子野口存弥の功罪を考
えるべきだろうと著者はいう。

野口存弥の母つるは、雨情の二番目の妻であり、十七歳で雨情と出会ってか
ら、生涯を雨情とともにした人である。
従順であったが芯の強いしっかり者の印象を受ける。
雨情に愛されたという点では幸せであったが、野口家の籍に入ったもののいつ
のまにか本妻が戻ってきて野口家を嗣いでいた、というような事情もあり
妻として、かたちの上からは気の毒な面もあった。有形無形の母の苦労を眺め
てきた息子としては、母を傷つけるような事実を避け、ひいては夫として父と
して恥ずかしくない雨情像を打ち立てたかったのではないだろうか。
存弥の正確な雨情像を伝えたいという思いの裏側にある、母を守るという強力
な意志を、一連の研究活動から著者は感じている。


[No.16265] Re: 山本多恵子:啄木と郁雨 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/13(Mon) 09:39
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この記事は何度か書き直しでした。

私の使うパソコンの環境がその日によって変わり
昨日は最悪の条件でした。
XPのあとの評判の悪いOSのパソコンで
どういうわけか、ワープロソフトとの相性が悪く
突然カーソルがあらぬほうに飛んでしまいます。

そして
時々、画面が別画面に変わったり
まだ記事を投稿するつもりでないのに、勝手に投稿されてしまうことがあります。

そんなこんなで
途中で一度、勝手に投稿されたのを
いったん削除して、コピーをとっておいたのに追加して入力していったら
8割くらい書き込んだところで突然画面がなくなってしまいました。

結局は、思い出しながら、最初から書き直しして、再投稿ということになったのです。
こういうときは別のワープロ画面にあらかた原稿を作っておいてから
それをこちらにコピーして貼り付け、手直しをするのが確実なやり方です。

冬休みで図書館によっては長期貸し出しモードになります。
したがって現在は全部で25冊借りています。
状況によっては30冊借りることになりそうです。