「門前町」には元気がないという話を聞き、永六輔は1997年に「門前町サミット」なるイベントの総合司会を引き受けた。 それが縁で、1999年に成田山新勝寺の門前町である成田市で、由緒ある旅籠の大広間を利用して落語会を開催した。それも会場を一日に五回も変えて行った。 この本は、そのときの司会の永六輔の前口上(前説)をまとめたものである。
お不動さんの商店街でクリスマスセールをする時代です 成田山の表参道には、両側に商店街が並んでいる。その商店街が並んでいるなかにも、いかにも成田だなという老舗と、それから新しいデザインの、新しい感覚、新しい商品というお店とは様子が変わってきますね。 昔はこの門前町に七十軒以上も旅館があったんだそうです。 今は十本の指が折れません。で、数えられるなかでも、おみやげ屋さんとして、あるいは食堂としてがんばっている元旅館もあります。つまり、そのことだけ考えても、門前町が変わってしまっているということがよくわかります。 まして町はずれに大きなジャスコのショッピングセンターが間もなくできる(2000年オープン)。 その向こう側には空港があって、そこには世界の百貨店みたいなショッピングセンターがある。 で、これは大変だぞ、という危機感があって、その危機感があるために、何か町を活気づけよう、町にあるものをうまく活かして使おう。 とにかく、多くの方に、この表参道を通ってお参りしていただこうという思いがあるんですが、一方で、真剣にお参りをすれば御利益があると信じられる。そういう時代ではないんですね。今は。 つまり、インターネットの時代に、お参りをすれば商売繁盛、町繁盛になるかというと、そんなことを信ずる人はいないといってもいい。信仰心というものはないに等しいんです。 この成田のお不動さんの商店街ですら、クリスマスにはクリスマスセール、バレンタインデーだとチョコレートを売ったりするんですよ。そういうキリスト教の行事でお不動さんがどんな顔をしているか。 でも、これは日本人の本質なんですね。お不動さんがいるときはお不動さん、都合のいい時に都合のいい信仰をしてきました。
ピーコと佐倉義民伝の関係 成田といえば、お不動さんと佐倉惣五郎という人がいる。 「佐倉義民伝」の「義」の字の話ですが、赤穂義士の「義」の字もそうですが、「義」という字には補うという意味があります。 だから、義眼というのは目を補うものなんです。義手、義足の義の字も、みんな補うということです。足を補うのが義足で、手を補うのが義手なんです。 私の友だちに義眼の友だちが二人いまして、そのうちの一人がファッション評論家のピーコです。 彼は義眼です。 ピーコはメラノーマという目のガンになりました。 早くガンだとわかったんで、よかったんですけど、とにかく取らなければいけない。取らないと左にも転移する。目は二つしかありませんから、失明することになりますよね。だから思い切って取れというので取ったんです。 ガンというのは、どこのガンであっても告知されるのは、けっしていい気持ちではありません。 で、夜中に電話がかかってきて泣くんです。電話口で「目がなくなっちゃう、目がなくなっちゃう。私はガンだ。もう死ぬ」とか、いろいろ大騒ぎするんです。 (このあと、永六輔は目がなくなってしまっても、長谷川きよしとか、高橋竹山とかいるじゃないか、悪い方の目だけ取ってしまえばいいなど、ピーコの泣きの電話に、怒って説得対応する。ピーコがあちこちに訴えたらしく、淀川長治や黒柳徹子から、もっとやさしくしてあげなさいという電話もかかってくる。 みんなが慰めればいい。中には一人ぐらい慰めないのがいると、本人も何をという気になる。そのことが大切なんだと永六輔はやり返すのです) 「厚情必ずしも情ならず。薄情また情なり」(坂本龍馬) 永六輔は、目を取ったピーコに元気を与えようと、みんなで相談して義眼をプレゼントすることになる。 一番いい義眼は誰かなと思ったら、イギリスのロックシンガーのデビッド・ボウイの義眼なんです。 見ていると義眼だとわからないんです。わからないだけではなくて、義眼なのに動くんです。 (そこで、その義眼をつくっているという東京の会社に相談したら、一番いい義眼は十万円だという。そこで一人一万円ずつ十人に声をかけて集めたという。 しかし、できたら百万円だった。酒を飲んだら酔った目が必要。テレビに出れば照明がきついと瞳孔が閉まる。生きているほうだけ瞳孔が閉まっていてはいけないから、テレビに出るときの目が必要。それから花粉症とか、充血したりするときの充血した目が必要というわけで十個そろって百万円。 さすがに困った永六輔は駆け回りなんとか百万円を集めたという)
日本人の宗教って不思議ですよ イスラム教とかキリスト教の場合、旧約聖書とか新約聖書というものがありますけども、あの「約」は誓約なんです。 イスラム教やキリスト教がいかに神様と契約するか、私はこれだけのことをする、だから神様はこれだけのことをしてくださいというかたちで信者になるんです。約束事をしているんです。 日本の場合、仏教も、神道も、そういう約束はしないんです。つまり、手をたたいたり、お賽銭をあげたりとか、いろいろしますけれども、それっきりです。 宗教というものを無理に手短に話します。 宗教というものは、神様があって、組織があって、教団があってという、いわゆる、われわれが知っている宗教の姿を最初に作るのはユダヤ教です。 つまり、ユダヤ教以前のものは、原始宗教というかたちで、雷様が鳴るとたたりだとか、洪水になったり津波がきたりすると、全部、神様が怒っていらっしゃるんだと考える。 そういう原始宗教が、人間の生き方について考えるようになり、人間は正しく生きなければいけない。正しく生きようというのがユダヤ教です。 そのユダヤ教が、はじめて教団というものを作って、そして、デウス(ヤーヴェ)の神が生まれます。 で、ユダヤ教徒だったキリストとマホメットから、それぞれ別の宗教が生まれます。 キリストの教えがキリスト教です。マホメットの教えがマホメット教です。 (このあと、イスラム教の戒律の話やキリスト教の愛の考え方の説明があり、仏教の慈悲の心の説明があるが省略します)
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この本には 「そのユダヤ教が、はじめて教団というものを作って、そして、”ゼウス”の神が生まれます。」と書いてあるが、ゼウスはデウスの間違いだろう。ゼウスではギリシア神話になる。 もっとも初期のキリスト教では、意識的にギリシア神話のゼウスに似たデウスという言葉を使ってキリスト教を説明したという説もあるが。 なお「””」はわかりやすいように私が付け加えました。
ユダヤ教徒だったキリストとマホメットから、それぞれ別の宗教が生まれます。 という永六輔の説明には、はっとした。 たしかにユダヤ人のキリストはユダヤ教の世界の中にいた。ただ、日常にあわない戒律や頭の固いパリサイ人たちを批判して、日曜日に働くなと言っても、穴に落ちた羊は助けるのは必要だとか遠慮しないでどしどし攻撃するから、保守派からうとまれて死刑にされてしまった。 キリストは新しい宗教を興すつもりはなかったが、キリストも弟子たちもユダヤ教からはげしく迫害されたため、新しい宗教をつくるほかはなかった。
親鸞も自分が新しい宗教を興そうという気はなかったという。師匠法然の教えをひたすら実行したつもりだった。だが、弟子たちが法然のではなく親鸞の新しい宗教をつくってしまった。
マホメットも実はユダヤ教徒だったのだろうか。 ユダヤ教はユダヤ人しか信仰できないことになっている。 もっとも、人種など越えてユダヤ教を信ずればユダヤ人なのだが。 アラビアの世界の人種であったマホメットも密かにユダヤ教を信じていたのかもしれない。 だが、ユダヤ教はユダヤ人しか認めないという強い戒律とか偏見があったので アラビア人によりあったイスラム教をつくったのだろうか。 マホメットがユダヤ教を信じていた証拠は、旧約聖書を聖典としていること、アラビア人の先祖もアダムとイブだとしてることなど、いくつもあげることができる。(豚を食べることのタブーや割礼という共通の戒律がある)
成田山の表参道のクリスマスセールみたいなのが 明治神宮の表参道にもやっぱりあるのだろうか。
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