[No.16444]
Re: 江と春日局と宮沢賢治
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投稿日:2011/01/21(Fri) 06:08
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> 昨日は江戸東京博物館で「江」の展示を見てきました。
> 徳川将軍三代目を誰にするかで、春日局が登場するのですが
> ここでなぜ宮沢賢治に結びつくのか、わからないでしょう。
>
> そこで、類似性を述べてみたいと思います。
> 結論はこのあとで。
つぎは宮沢賢治です。
賢治は父親の家業の質屋を嫌がっていました。
マルクスの影響を受けた学者・知識人の影響でしょうか。
谷沢永一の指摘するように、若い人たちを苦しめた「知識人の毒」でしょうか。
マルクスさえ出せば、自分たちの支配が正当化される(まあ脱線するからやめておきますが)そういう人たちは、日本だけでなく外国にもいます。
質屋や金貸しがいなかった困る人も出てくる。
だいいち、銀行と質屋は本質は同じ(経済を動かしている)。ということは賢治は思い至らなかった。
彼はゆっくり自殺をしたのだと私は思っています。
まあそれはさておき
本題にもどりますと
賢治は父親の商売はいやがっていたが、父親の金は利用しました。
ぜいたくができたのも父親のおかげ。
賢治は父親から大金をもらってセロを買います。立派なセロでした。
賢治はセロを弾いたが、あまり上手ではなかったといいいます。
賢治の友人にやはりセロを弾く人がいて、盛岡で演奏会に出ることになりました。
この友人は貧しいから立派なセロは買えません。だから質のよいとはいえない楽器でした。
それを見た賢治は、自分のセロと交換してあげました。
賢治が友だちから代わりにもらったセロには穴があいていました。小さな穴でした。
この穴を見て、賢治は「セロ弾きのゴーシュ」の中で、子ネズミが穴からセロの中に入るというアイデアを思いつくのです。
さて
賢治が死んでずっとあとに、花巻も空襲を受けました。
大事な賢治の遺品はほとんど戦災で失われたといいます。
花巻の宮沢賢治記念館には、賢治のセロというのがあり展示されています。
このセロは親切な賢治が友だちと交換してあげたセロなのです。
友だちの買った穴のあるセロは戦災で焼け、盛岡の友人は大切にしていたセロが、友人の死後に宮沢賢治記念館に寄贈されたというわけです。
情けは人のためならず
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おわかりでしょうか
江(崇源院)の霊廟も賢治のセロも戦災で焼失してしまった。
しかし
もうひとつあったから残された。バックアップというか控えは大切なことです。