画像サイズ: 334×470 (59kB) | いま手元にある7月18日付の購読新聞を見ると、ハプスブルグ家の皇太子、ピクニック計画の推進者、オットーの死が一面ぶち抜きで報道されている。
あっしらの場合、ちょうど亡くなった当日(7月4日)ブダペスト発の列車でウィーン駅に着いた。あっしは新聞がやたらと好きなので、降りるとすぐ、ホームのラックに置いてあったフリーペーパーを1枚ゲットした。西欧ではこの手のタブロイド判ではMetroというのをよく見かけるが、ここのは違った。
「Heute」というのだ。新聞のうたい文句が題字下に、小さく書いてある。
Kein Morgen ohne Heute ふ〜ん、成ぁる程ねえ。なこたあまあ、どうでもいいのだが、下のちいさなコラムにDer letzte Weg von Otto Habsburug(†98)とだけ。
これではあまりにもヒドイすぎると思ってよくみると、詳細記事は5面へとあった。早とちりしてゴメンゴメン。(-_-;)
5面はさすがに1ページぶち抜きである。一方、こちらの新聞では、葬儀の写真を大きく扱い、顔写真はちいさな、正面を向いたもの一枚で済ませている。あちらのは自宅で寛ぐオットー氏の近影を載せていた。背景の壁には、故人の大おばにあたる「シッシー』の絵が飾ってある。
また別の写真では、葬列の道筋を赤い点線矢印で説明している。
遺体はウィーンの修道院に収められるが、心臓はべつに聖遺箱へ収め、少年の頃を過ごした思い出の地、ハンガリーのパンノンハルマの教会へ埋葬されるよし。
また、ブダペシュトの聖イシュトヴァーン教会でも追悼ミサが行われた模様。
しかし享年98とは、長生きをした紋だ。
ところで、ウィーンで絵葉書屋へ行くと、風景のに混じって面白い図柄のが見つかる。
それは、ハプスブルク家の系図をあしらったもの。これくらい有名になると、系図が絵葉書になるから、たいした紋である。
ちなみに、ヴァイオリニストの鰐淵 晴子が、ハプスブルク家の血を引くということは確からしい。 |