[No.14627]
阿倍仲麻呂の謎
投稿者:男爵
投稿日:2011/05/27(Fri) 17:08
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> > 西安の阿倍仲麻呂の碑です。
阿倍仲麻呂ははじめ朝臣仲満と称したが、のちに朝(晁)衡(ちょうこう)と
改名しました。 晁衡とも朝衡ともいったのです。
752年に衛尉少卿に昇進しますが、このとき藤原清河率いる第12次遣唐使一行が来唐します。
すでに在唐35年の仲麻呂は清河らとともに翌年帰国することになります。
この時王維は「秘書晁監(「秘書監の晁衡」の意)の日本国へ還るを送る」の別離の詩を詠みました。
しかし、仲麻呂や清河の乗船した第1船は暴風雨に遭って南方へ流されるのです。
このとき李白は彼が落命したという誤報を伝え聞き、「明月不歸沈碧海」の七言絶句「哭晁卿衡」を詠んで仲麻呂を悼んだといいます。
幸いにも安南(現ベトナム)に漂着した仲麻呂一行は長安に帰ることができたが
二度と日本の土を踏めなかったのでした。
藤原清河の遣唐使一行は阿倍仲麻呂とともに
密かに鑑真も乗船させたのですが
鑑真の船は無事日本に着いたのでした。
さて
阿倍仲麻呂つまり晁衡あるいは朝衡の名前ですが
どうして朝の字がついたのか
これにこだわる学者がいます。
詳しくはここにあります。
http://www.aurora-net.or.jp/doshin/silkroad/hakuyoju/NO24/index.html
これは札幌の新聞社のホームページなのですが
シルクロード展が終わっても
なかなか役に立つからと私が頼んで
残してもらったものです。