マルチメディア館 

写真・絵などをアップできる部屋です。季節の風物詩や「こんなのいかが」と言った情報や力作をどうぞ。
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  • [No.14946] この部屋は閉鎖します 投稿者:システム担当  投稿日:2011/08/31(Wed) 23:04
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    この部屋は閉鎖して、アーカイブに移します。
    http://www.mellow-club.org/07-close/web.html

    なお、書き込みはできません。


    [No.14945] Re: ああ、10年ぶりのグリンツィング! 投稿者:   投稿日:2011/08/31(Wed) 17:33
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    画像サイズ: 345×490 (66kB)
    もしや店の宣伝ハガキ、見たい方もあるかと思い、添付しました。日本語のは残念ながら置いてありませんでしたが、ドイツ語、英語、フランス語版はありやした。


    [No.14944] Re: ああ、10年ぶりのグリンツィング! 投稿者:   投稿日:2011/08/31(Wed) 10:38
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     今度の旅行でこんなことも分かった。ここは有名な指揮者、作曲家のロベルト・シュトルツ★の行きつけの店だったのだ。また、店舗は300年前の修道院を利用したものらしい。

    ところで、先述の栓抜きだが、店の宣伝ハガキにも、やはりオーストリア最古、最大の栓抜きコレクションは、一見の価値ありと書いてあった。大きな平たい箱にギッシリ詰めて、何個かが壁にかかっていた。ガラス張りなので様々な意匠の栓抜きが一目で観賞できる。これを見ていてあっしは、つい、蝶やトンボの標本箱を連想してしまった。(-_-;)

     あっしらのテーブルに楽師、ギターとアコーディオンのコンビだったが、まわってきたとき、マーチャンがチップをはずんだので色々やってくれたが、いまその曲を並べてみる。

     たしか所望した曲は「会議は踊る」と「美しき青きドナウ」「第三の男」だったが、相手が日本人とみて、「上を向いて歩こう」「春を愛する人は」は、いいとして、「黒猫のタンゴ」にはしょうじき驚いた。

     楽師も客が増え、あたりが暗くなるにつれ、次第に調子に乗ってきて、しまいには歌いだし、スキヤキソングの替え歌までやってくれちゃった。つまり、

     出だしの『上を向いて〜』のところを、「トヨタ、ミツビシ〜」とやったのである。してみると、この店にも、当日はひとりもいなかったが、日本人も団体か何かでよく来るものと見える。

     じつは船中で、知り合ったオーストリア人(ウィーン子)に、この店の名を出すと、あそこは日本人が多いとか云っていたっけ。

    ★かれの頭像がウィーンの市立公園に、また記念碑がプラターにある。店内にもかれの全身像があったように思うが、その写真がみつからない。ロベルトはグラーツ生れで両親ともプロの音楽家であったらしい。父君は大変お元気な方と見え、かれは12番目の子供だったそうだ。また、かれは日本では指揮者と云うことで有名だが、海外では、レハールなどと並んで、オペレッタの作者として名高いということである。

     シュトルツが、夕やみ迫る頃、このホイリゲでワインを傾けながら曲想を練っていたと思うと、とくに感慨が深い。


    [No.14942] ああ、10年ぶりのグリンツィング! 投稿者:   投稿日:2011/08/30(Tue) 20:37
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    画像サイズ: 480×360 (52kB)
    感激の再会。といっても相手は人間ではありません。あっしらが10年前に訪れた、あのホイリゲがまだ健在だったのです。

     当日はちょうど夜の7時にグリンツィングにご到着。さてあの店はまだあるかな、と探し回るまでもなく、すぐ見つかりました。目印は入り口にある夥しい数の栓抜きのコレクションです。

     お互い、元気で良かったなぁ、と再会を喜び合ったのは云うまでもありません(*^_^*)

     さっそく中庭に席を確保。ここはワインはボーイ注文するのですが、料理は手前の売店でゲットします。

     楽師も二人いて、むこうのテーブルでひたすらサービスに務めている。その内こちらにも回ってくるはずです。

     ここの店は変わっていて、ご覧のように、ワインをジョッキで飲むんです。(*^_^*)
    この写真はマーチャンが撮ってくれました。マーチャン、腕上げたな。(*^_^*)


    [No.14941] Re: ハプスブルク家の終焉 投稿者:男爵  投稿日:2011/08/30(Tue) 10:56
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    唐辛子 紋次郎さん、みなさん、 こんにちは

    > > この
    > > ハプスブルク家の末裔の方の
    > > 子孫は健在なのでしょうか。
    >
    > ハプスブルクはドイツ語圏なので、この探索、報告については、男爵さんにお願いします。

    ここにあるみたいですよ。
    http://www.geocities.jp/hauteau86/Habsburg/habsburg20.htm

    もはや王ではないが
    オーストリアやEUにとっては
    精神的なシンボルでしょうか。


    [No.14940] Re: ハプスブルク家の終焉 投稿者:   投稿日:2011/08/30(Tue) 08:48
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    唐辛子 紋次郎 さん みなさん

     ハプスブルグ家というとーーー
     ハプスブルク家最後の皇帝が、いよいよ、オーストリアを出て行く日。
     お付きの人は「皇帝、いや違った、もはや皇帝ではない、そう、ハプスブルグさん、お達者で」
     といい、その後ろ姿を見送ったーーーというシーンを思い出します。

     若かりし時に見た「宝塚」の舞台を断片的に記憶しているのでしょうか。

     何か、戦国時代の落城の風景そっくりですね。
     「若殿、どうか絡め手よりお逃れ下され。ジイはお供が叶いませぬ。どうかお達者で」ーーーという風景。

     滅び行くものは悲しくも美しい。


     ところで、このお部屋も明日いっぱいで閉めます。
     しかし、他の部屋はそのままです。いまは、どの部屋にも写真も絵も入れられます。
     楽しい記事をお待ちしています。
     また「旅の部屋」という新しい部屋もオープンします。

     どうぞ、お揃いで「ご登城」くださいませ。




     


    [No.14939] Re: ハプスブルク家の終焉 投稿者:   投稿日:2011/08/30(Tue) 08:47
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      男爵さん、みなさん、おはようございます。

    > ところで
    > この
    > ハプスブルク家の末裔の方の
    > 子孫は健在なのでしょうか。

    ハプスブルクはドイツ語圏なので、この探索、報告については、男爵さんにお願いします。(*^_^*)もしかして、相当詳しい情報をお持ちなのでは。


    [No.14938] Re: ハプスブルク家の終焉 投稿者:男爵  投稿日:2011/08/30(Tue) 08:38
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    唐辛子 紋次郎さん  こんにちは

    ところで
    この
    ハプスブルク家の末裔の方の
    子孫は健在なのでしょうか。


    [No.14937] ハプスブルク家の終焉 投稿者:   投稿日:2011/08/28(Sun) 20:41
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    画像サイズ: 334×470 (59kB)
    いま手元にある7月18日付の購読新聞を見ると、ハプスブルグ家の皇太子、ピクニック計画の推進者、オットーの死が一面ぶち抜きで報道されている。

     あっしらの場合、ちょうど亡くなった当日(7月4日)ブダペスト発の列車でウィーン駅に着いた。あっしは新聞がやたらと好きなので、降りるとすぐ、ホームのラックに置いてあったフリーペーパーを1枚ゲットした。西欧ではこの手のタブロイド判ではMetroというのをよく見かけるが、ここのは違った。

    「Heute」というのだ。新聞のうたい文句が題字下に、小さく書いてある。

     Kein Morgen ohne Heute ふ〜ん、成ぁる程ねえ。なこたあまあ、どうでもいいのだが、下のちいさなコラムにDer letzte Weg von Otto Habsburug(†98)とだけ。

    これではあまりにもヒドイすぎると思ってよくみると、詳細記事は5面へとあった。早とちりしてゴメンゴメン。(-_-;)

    5面はさすがに1ページぶち抜きである。一方、こちらの新聞では、葬儀の写真を大きく扱い、顔写真はちいさな、正面を向いたもの一枚で済ませている。あちらのは自宅で寛ぐオットー氏の近影を載せていた。背景の壁には、故人の大おばにあたる「シッシー』の絵が飾ってある。

     また別の写真では、葬列の道筋を赤い点線矢印で説明している。

     遺体はウィーンの修道院に収められるが、心臓はべつに聖遺箱へ収め、少年の頃を過ごした思い出の地、ハンガリーのパンノンハルマの教会へ埋葬されるよし。

     また、ブダペシュトの聖イシュトヴァーン教会でも追悼ミサが行われた模様。

     しかし享年98とは、長生きをした紋だ。

     ところで、ウィーンで絵葉書屋へ行くと、風景のに混じって面白い図柄のが見つかる。

     それは、ハプスブルク家の系図をあしらったもの。これくらい有名になると、系図が絵葉書になるから、たいした紋である。

     ちなみに、ヴァイオリニストの鰐淵 晴子が、ハプスブルク家の血を引くということは確からしい。


    [No.14936] Re: 三木露風の法名 投稿者:   投稿日:2011/08/22(Mon) 13:19
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      男爵さん、みなさん、こんにちは。

    > 三木露風の葬式はカトリック教会でしたのに
    > 法名があったとは...
    > 穐雲院赤蛉露風居士だそうです。

    洗礼を受け、さらに「日本カトリック教史」の著書もあり、カトリックの総本山、ヴァティカンから聖騎士の称号まで受けたかれに、なぜ法名が。(@_@;)

     男爵さん、で、けっきょく、その説明は見つかったのですか?


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