昭和17年、此の年のクリスマスを戦場で迎えました。 まさに”戦場のメリークリスマス”でした。 此の年の6月以降には、ミッドウエイ海戦、ガダルカナルの死闘と戦局を左右する決戦の最中でした。 セレベス島マカッサルの航空基地マンダイでは第23航空戦隊の零式陸攻がケンダリーよりダーウイン爆撃に発進する為の支援基地ととして、まさに戦争の真っ最中でした。 にも関らず、ノーテンキな兵隊は、此の戦場で”Merry Cristmass”をヤッテマシタ。 http://homepage2.nifty.com/bup/bup-10.htm 宿舎って書いてある家で、戦争の合間は遊んでました。 ロサリ海岸に通じる道路を挟んで”w”って書いてある家は海軍民生部に勤めるメナド人の一家で、クリスチャンでした。 道路の左側に「今のブンドコレクション」と書いてある家は当時ケーキ屋さんで、アンボン人のオバサンがケーキを焼いて、ロビーで紅茶と一緒に頂ける仕組みになってました。 そのオバサンに特大のクリスマスケーキを作って貰い、”W家”に届けました。 楽しいクリスマスを過して、間もなく昭和18年に入り、敵の反撃が始まり、毎夜の空襲となり、”W家”も宿舎も瓦礫になってしまいました。 此のガキの兵隊も、ニューギニアの空に決戦のために飛び立ちました。 アレからもう67年になるのですね。
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