瀬理恵さん、変蝠林さん、皆さん、こんにちは。 > > 瀬里恵が先ず思い浮かべるのは、バレリーナのアンナ パブロワですネ。 > 彼女はロシア革命でイギリスに亡命した白系ロシア人…。日本にも来日し > 公演した事がある。 > > そして しばらく鎌倉の由比ガ浜沿いに逗留し、バレーを教えたらしい。 > 貝谷八百子や 谷桃子などはその門下生だとか… 江ノ電に乗ったとき、マーチャンからも話を聞いたことがあります。
> 確か、N-FMELLOWの時代に、カキコしたと思いますが、「瀕死の白鳥」を > 踊った時、たまたま六代目・尾上菊五郎が見に来ていて彼女の演技に感動 > して、彼女に問いかけた。 > > 「あなたは白鳥が死にかけて倒れた時から、幕が降りるまで息をしていませ > んでしたネ。もしなにかの事故で幕が降りてこなかったらどうしますか?」 > > アンナ バブロワ曰く、 > > 「その時は、そのまま呼吸をせず死ぬ事になるでしょう」と言ったとか…。
それが本当の芸人魂なんでしょうね。天井が落ちようが暴漢が乱入しようが…。そのとき少しも騒がず、ですか…。(^_-)-☆
あっしの読んだのでは、白系ロシア人には羅紗売りが多かったということですが、みなさん、その関係のご記憶はありませんか?彼らの働きがなければ、着物文化の日本に、こうも早く背広が普及しなかったんではないか、という指摘があります。
また、洋菓子、チョレートの話もありますが、ピロシキやボルシチの普及、これには白系ロシア人やその面倒を見た新宿の『中村屋』の存在が大きかったのでは。同店は亡命した盲目の詩人、エロシェンコ(ウクライナ出身)をpatronizeしたことでも知られています。それに、洋画家・中村彝による、この詩人の肖像画も残されています。
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