伸様 コンバンハ (晩酌後に付き・・・)> 高垣眸の「怪傑黒頭巾」忘れがたいですね。勿論! 憶えてますよ。
不虻さん コンバンハ 一杯後に付き・・・> 序でにもう一つ質問。「譚海」は私の記憶では子供向けの雑誌ではなく(戦後の「少年少女の譚海」へ別)、探偵小説雑誌だったと思うのですが、これも違うのでしょうか?其の通りです、少年期を脱したやや青年向きでした、兄(三歳上)のを読んでました。やや小さい版の雑誌でした。戦後も在った様な、昭和23年頃読んだ記憶が微かに・・・ ↓ご参照下さい。http://www.geocities.jp/makiitirou/shounenzasshi1/zasshi1.htmlhttp://www.d1.dion.ne.jp/~ueda_nob/wildcat/essay_11.html
突然出てきました。伸と申します。高垣眸の「怪傑黒頭巾」忘れがたいですね。
BUPさん > > 「吉屋信子」の「夾竹桃に花咲けば」という題名だけが頭に残っています。> 残念でした、「夾竹桃の花咲けば」は著者 佐藤紅緑、田中良/画 > でした。 アレッ! そうでしたか! 昔から吉屋信子が少女倶楽部に書いたものとばかり思っていました。同じ間違いをした人が他にもいて、やや安心! 序でにもう一つ質問。「譚海」は私の記憶では子供向けの雑誌ではなく(戦後の「少年少女の譚海」へ別)、探偵小説雑誌だったと思うのですが、これも違うのでしょうか?
不虻さん 皆様 こんにちは朝、目が覚めたら雪、雪、未だ降って居りますが、少し小降りになって来たようです。> 少年倶楽部では、付録の組み立てが印象に残っています付録が欲しくって買って貰っていたような気が・・・> 「吉屋信子」の「夾竹桃に花咲けば」という題名だけが頭に残っています。残念でした、「夾竹桃の花咲けば」は著者 佐藤紅緑、田中良/画 でした。 ↓ ご参照。 http://agedstone.at.webry.info/200606/article_21.htmlヒマでヒマで、炬燵に入ってますよ。
変蝠林さん、BUPさん、みなさん、 懐かしい少年倶楽部のお話し、有り難うございました。 幼年倶楽部、少年倶楽部、それに姉が二人いたので、少女倶楽部などは、当時の田舎町の雑貨屋で売っていました。 少年倶楽部では、付録の組み立てが印象に残っています。名古屋城や大阪城、議事堂、それにエンパイヤステートビル等の建築物や大きな飛行艇など、厚紙を切り抜いて糊で貼ったり、折ったりして組み立てるのですが、生来不器用だったので、苛々して組み立てました。 「敵中横断三百里」は昭和6年3月に単行本として出版されたのだそうですが、その「愛蔵復刻版少年倶楽部名作全集」が昭和45年に出版されていて、図書館にあると思います。私は10年程前に、世田谷図書館から借り出して読み返したことがあります。 少年物では佐藤紅禄、少女物では吉屋信子が人気作家でした。私はどうしてか、吉屋信子の「夾竹桃に花咲けば」という題名だけが頭に残っています。
BUPさん> 「少女倶楽部」って言うのも在ったような記憶が?・・・ はい、ありました。 私は買ってもらえませんでしたが、友達に借りて読んだことがあります。 吉屋信子さんの小説などが掲載されていたようです。 でも、正直、ワクワクするように面白い読み物は「少年倶楽部」のほうが多かったですね。
マーチャンさん 皆様 コンバンハ寒くって寒くって、引き篭もり中「少女倶楽部」って言うのも在ったような記憶が?・・・
BUPさん、みなさん> 亜細亜の曙 少年倶楽部 山中峯太郎 挿絵:椛島勝一> は検索で出ました。> その他、「新戦艦高千穂」「敵中横断三百里」etc. 私も、3人兄弟で、上2人が男だったものですから、物置に「少年倶楽部」のバックナンバーが積んでありました。 もう戦争が激しくなっていたので、雑誌も買えず私も「少年倶楽部」を愛読していました。 ルビが付いていて小学校低学年でも読めました。 田川水泡さんの「のらくろ」が好きでした。 また、子ともの作った狂歌が掲載されていました。今でも憶えています。 −−−腕時計買ってもらった嬉しさに転んだときも何時何分 −−−姉さんのお供は支度で昼となり家を出ずれば雨となるなり このほか、付録で「タイヤモンド宝典」「ダイヤモンド金言集」などというのがありました。
Pan さん > 挿絵は連載の時も「椛島勝一」でしょうか? 正に然りです。 あの精密画を描ける人はもう居ない? > 探したら見付かりました。 実話に基づいて書かれたそうですね。> http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD25520/story.html 感謝 感激 サンクスです。 変蝠林(1917-)