画像サイズ: 628×518 (93kB) | ブーゲンビリア様 皆様 酷暑が続いてますが、如何にお過ごしでしょうか。 此処、小生のヒマツブシ用専用室みたいになってしまい申し訳け御座いません。 > そういう雰囲気がとってもいいんです。ぜひ、フリートークでこれからもお願いいたします。 ブーゲンビリア様 お久しぶりです、 御元気なようで、何よりであります。 お言葉に甘えて、言いたい放題でやらせて貰ってますが、たいした話題は御座いません。 テレビでは”オザワさんがどうのこうの”って、やってますが、俺、全然関心がないんです。 今日は木曜日、コナミは定休日、従って水泳はオヤスミ、駅前にセブンイレブンが開店して、おむすび50円引きとか、家内に命令されて、此の暑いのに自転車で買って来ました、ティッシュペーパー、一箱サービスで貰って来ました。(家内は、これが欲しかったらしいよ)
帝国海軍って言ったって、皆さん水泳が得意って言うわけでは御座いません。
航空機搭乗員は、仕事中、ライフジャケットを着用します。 これは役に立ちました。 昭和20年の春頃、海南島の三亜をサイゴンに向け夜中に離陸して、間もなく、右エンジンが故障、海上に不時着水しました。 零式輸送機の搭乗員席は前列の左が操縦士、右が機関士、後列、左が航空士、右が通信士、航空士と通信士の間の上部に天蓋が在り、其処から脱出出来ます。 着水は、いきなりで、急に高度を取れなくなりガツーンと海面に突っ込んだ感じでした。 俺は、離陸完了と思い、仕事に取り掛かるため、鞄から暗号書と乱数表を出して、空3号無線電信機の上に置いた途端でした。 オデコを無線機の何処かにぶつけて、イテーって思った瞬間です。 左側の航法担当の航空士はチャート(航空用の地図)を広げる机を上に留めるピンにオデコをぶつけて血だらけになってました。 急いで送信機を作動、不時着を基地に知らせたつもりでしたが、応答はありませんでした。 客室との隔壁扉を開けて、乗っていたお客さん(高級士官ばかり)に、救命胴衣の着用を知らせて、天蓋を空けて、其処から脱出しました。 真っ暗な海上でした。 機外に出ると、すぐ其処にアンテナの支柱が立ってます。 機はエンジンの重さで前かがみにジワリと沈んでゆきます。 支柱からアンテナ線が尾翼に伸びております、それを伝って、浮いている尾翼の方に移動して行きました、なるべく水に浸かりたくなかったからです。 尾翼にしばらく、しがみ付いておりましたが、やがて、水没、全員が海中に投げ出されました。 バラバラにならないように、ロープでお互いに繋がって救助を待つことにしました。 数時間後、次第に夜が明けて明るくなってきましたが、救助がくる気配は御座いません。 南の海でも、長く浸かっていると、だんだん冷えてきます、其のうちに”胴震い”が始まりました、ガタガタと胴が前後に震えてくるのです。 機長が、”オイ、若いやつ、二人(俺と航法担当)陸に向かって泳ぎ、救助を求めろ”との命令でした。 泳ぎだしました、泳いでも、泳いでも、島影は遥かに遠く、近寄りません。 ふと、俺の周りを見たら、黄色と黒の斑な海蛇がウヨウヨ泳いでいるんです。 泡を食って、手で、あっち行けって、やりながら泳ぎ続けました。 其のうちに、遥か彼方より、焼玉エンジン特有のポンポンポンと言う音が近付いて来ました。 俺に向かって真っ直ぐ来るんです!、俺の救命胴衣を棒の先で引っ掛けて、ヒョイと救助艇のデッキに放り上げられました。 ほかの者はって訊かれましたので、”その辺に居るよ”って、無責任な返事をしたと思ってます。 全員救助され、迎えが来るまで、三亜での生活が始まりました、憶えているのは、 紙幣を沢山持ってましたので、戸板の上で干しました。 拳銃を中国人の時計屋さんに持って行き、手入れして貰いました。 数日後、爪哇島の本部より迎えの輸送機が来てくれました。 お客さんたちは椅子に座りましたが、俺たち4人は、輸送機の後部、便所(トイレ)の前の空間に救命胴衣を着けっぱなしで固まって座り込んでおりました。 多分、又、落ちると思い込んでいたのかも知れません。 爪哇島スラバヤの本部に帰り着き、数日の休みを頂きましたが、ソレダケ、・・・、再び、南の空に舞い戻りました。 俺は、コナミのプールで泳ぐとき、何時もこれを想い出しているんですよ。 (上達しない、言い訳けでした・・・) 今日もヒマツブシでゴメン。 |