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[No.100] おちょえきはん 投稿者:   投稿日:2008/01/06(Sun) 01:52
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私の母は京都生まれの京都育ちです

母の話の中に 囚人の街頭作業がありました
縄でつながれて 同じ服を着た囚人が
街の道路工事などをやっていて
それを見ると 子供たちは
「あ!おちょえきはんや」「おちょえきはんや」
と言ってたそうです

→「お懲役さん」

大正ボーイ 大正ガールの皆さん
街中で囚人の作業をご覧になったことがお有りでしょうか

昭和の皆さんは?

私は見たことがありません
九州・中国・関西・関東 結構アチコチで住みましたけど


[No.103] Re: おちょえきはん 投稿者:あんみつ姫(小池)  投稿日:2008/01/06(Sun) 09:05
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白兎山人さん、みなさん、おはようございます!

おちょえきはん?「懲役さん」・・知りません。
聞いたこともありません。

縄で繋がれていては立ち働くのも大変だったでしょうね。

見せしめって事でも無いのでしょうが、当時は人権、人権とうるさく
なかったって事ですかね。

これとは全く違いますけど、終戦後しばらくの間「傷痍軍人」という
人たちが、街頭でアコーデオンを弾いていましたね。
あれ、なぜアコーデオンなんでしょうかねぇ?

私の記憶では、一様に白い着物にゲートル巻きの軍靴、頭には国防色
の兵隊帽といういでたちだったと・・・

国防色なんて言っても、今の若い人には分からないでしょうね。

昨今は迷彩服が若者の間で流行ってて、格好良いと思われてるよう
ですけど、何といいましょうか、おかしな流行ですね。

あれっ、大正から逸れてしまいました。


[No.107] Re: おちょえきはん 投稿者:リフレー  投稿日:2008/01/06(Sun) 10:32
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白兎山人さん、あんみつ姫さん みなさん、おはようございます!

おちょえきはん?「懲役さん」・・と言う言葉は知りません。

 監獄所と言うのは私の住んでいた市にもありましたので知っています
 また 縄付きで道路工事をしていたのも記憶しています。赤に近い煉瓦色
 の囚人服を着て、悪い事をすると、あんなになるんだぞ!と、言い聞かされ
 幼心にも、強く印象に残って居ます。尚 青色の囚人服もありました。
 未決囚用とか?この集団の作業も見たように思います、縄は付いていなかった
 ようにおもいます?…・山人さん 有り難う色んな事が思い浮かんで来ます。

                             リフレ


[No.109] Re: おちょえきはん 投稿者:   投稿日:2008/01/06(Sun) 14:45
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リフレさん はじめまして ようこそ

>監獄所と言うのは私の住んでいた市にもありましたので知っています
>また 縄付きで道路工事をしていたのも記憶しています。赤に近い煉瓦色
>の囚人服を着て、悪い事をすると、あんなになるんだぞ!と、言い聞かされ
>幼心にも、強く印象に残って居ます。尚 青色の囚人服もありました。
>未決囚用とか?この集団の作業も見たように思います、縄は付いていなかった
>ようにおもいます?…・山人さん 有り難う色んな事が思い浮かんで来ます。
                             
 ああ やはりご覧になったことがお有りですか
 思い出された 色んなことを 
 ひとつずつ ご紹介いただけると有り難いです
 どうぞ よろしくお願いいたします

                        山 人


[No.108] Re: おちょえきはん 投稿者:BEE  投稿日:2008/01/06(Sun) 10:57
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白兎山人さん はじめまして

> 大正ボーイ 大正ガールの皆さん
> 街中で囚人の作業をご覧になったことがお有りでしょうか

私も京都生まれの京都育ちですが、生活環境が狭かった所為か見たこと
ありません。そうでなければ或いはもっと遡った時代かも知れませんね。

町中で頭に「倉掛」や「梯子」を載せて「はしごや、くらかけ いりまへんかー」
と云って売り歩いていた「はたのおば」(梅ヶ畑のおばさん)や
「花いりまへんかー」と云って売り歩いていた「白川女」はよく見かけました。


[No.110] Re: おちょえきはん 投稿者:   投稿日:2008/01/06(Sun) 14:52
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BEEさん はじめまして
ハテ 大阪にお邪魔したときお逢いしませんでしたかしら

> 私も京都生まれの京都育ちですが、生活環境が狭かった所為か見たこと
> ありません。そうでなければ或いはもっと遡った時代かも知れませんね。

  亡母は大正元年生まれ だから10年代の話だと思います
  生家は堺町竹屋町です 後年山科に越したようです

> 町中で頭に「倉掛」や「梯子」を載せて「はしごや、くらかけ いりまへんかー」
> と云って売り歩いていた「はたのおば」(梅ヶ畑のおばさん)や
> 「花いりまへんかー」と云って売り歩いていた「白川女」はよく見かけました。

  大原女も いたそうですね


[No.120] Re: おちょえきはん 投稿者:変蝠林(1917-)   投稿日:2008/01/06(Sun) 20:21
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> 大正ボーイ 大正ガールの皆さん
> 街中で囚人の作業をご覧になったことがお有りでしょうか

 当然見てます。
 朱衣が重罪、青衣が軽罪。
 共に虚無僧の被る編笠で顔を隠す情が有りました。

                  変蝠林(1917-)


[No.121] Re: おちょえきはん 投稿者:   投稿日:2008/01/06(Sun) 20:27
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>  当然見てます。
>  朱衣が重罪、青衣が軽罪。
>  共に虚無僧の被る編笠で顔を隠す情が有りました。

お! 少しく 情報が細かくなってきました(^^)


[No.125] Re: おちょえきはん 投稿者:リフレー  投稿日:2008/01/06(Sun) 21:55
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 変蝠林 さん みなさん 

> > 当然見てます。
> >  朱衣が重罪、青衣が軽罪。

 朱衣が重罪、青衣が軽罪でしたか、私の間違い!
  
> >  共に虚無僧の被る編笠で顔を隠す情が有りました。

 そうでしたね想い出しました編笠を被って居ました。
 私の見たのは虚無僧ほどの深い物ではなかったですがやっと顔が
 隠せる程度の編み笠だったような?

> お! 少しく 情報が細かくなってきました(^^)

 まだまだ 細かくなるでしょうね >白兎山人 さん

                         リフレー


[No.139] Re: おちょえきはん 投稿者:  投稿日:2008/01/08(Tue) 14:19
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   白兎山人さん、ツリーの皆さん。

> 母の話の中に 囚人の街頭作業がありました
> 縄でつながれて 同じ服を着た囚人が
> 街の道路工事などをやっていて
> それを見ると 子供たちは
> 「あ!おちょえきはんや」「おちょえきはんや」
> と言ってたそうです

 佐世保市では、住宅街の直ぐ近くに佐世保刑務所が在り深編み笠に青い囚人服の出で立ちで昭和18年頃1、2度見かけました、私たちは、「ちょうえき」や「ちょうえき」やと言っておりました。


               〜〜 昭 〜〜