画像サイズ: 800×600 (95kB) | 生まれは北九州八幡ですが4歳くらいのとき広島へ、 その頃の記憶は断片的なものが少しあるだけです。 結婚後昭和46年から59年まで北九州戸畑勤務、 新工場の立ち上げが落ち着いたころから、 山女の亡妻と山登りに行くようになりました。
一番沢山行ったのは英彦山で、一年に一回以上登りました。 これはアクセスが良いせいもあるし、足慣らしにちょうど良い山。 北九州近辺の山々には良く登りましたが、 何回か登って気に入っていたのは大分の九重連山です。 6月にはミヤマキリシマが全山をピンク色に染め、それはそれは美しい。
毎週一回以上山に登りだしたのは、栃木県に来てから。 新工場立ち上げの激務から大病を引き込み二ヶ月急務、 第一線を外されたのをきっかけに ハイキングクラブに入会。 ハイキングクラブと名がついても、遠足程度のハイキングから、 南北。中央アルプスまで 幅広い地方・グレードの登山まであり、 月間10コース以上の登山・ハイキング計画が組まれていました。 あこがれの槍ヶ岳を手始めに北アルプスの山々にも登りました。
私と亡妻が栃木で一番多く登ったのは那須連峰の山々、 九州の九重と雰囲気が似たところがあるのです。 火山性であること、山域が広く登山コースが多様であること。 噴煙(水蒸気)を上げる山があること、当然ながら周辺に温泉が多いこと。 ミヤマキリシマこそありませんが、高山植物の宝庫でもあります。 10日前にも軽いコースで登って帰りには独活を採取、 帰宅後他の野菜とともに天麩羅にして山の味覚を楽しみました。 (続く) |