ご当地の知られざる名物
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[No.105] 老舗だらけのわが街・佐倉〜5 投稿者:   投稿日:2009/12/21(Mon) 22:07
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老舗だらけのわが街・佐倉〜5
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玉屋といえば、有名な江戸の花火師だが、こちらは「玉家」である。☆わが街にはむかしこの玉家ともう一つ「花家」というふたつの料亭があったが、後者は10年ほど前に廃業した。

 創業者は名古屋の出身だというが、明治18年西暦にして1885年、この佐倉は仲町に開業した。その後明治24年(西暦1891年)現在の鏑木町に移転し今日に至っている。専門はウナギを始めとする川魚料理だ。3代目の和男氏が取り仕切っている。支店も長男が千葉市、次男が東金で営業している。

 ここでよく言われるのは、生簀を持っていることだ。生簀のある店は信用できるようだ。また、座敷も大小の部屋がいくつもあり、最大のものは100人を収容できる。室内の掛け軸などにも見るべきものがある。例えば中村不折の軸は、この書家(兼画伯☆☆)が、たまたま印旛沼で釣をし、帰りにここでウナギを食べ、あまりの美味さに即席で書上げたもの。ほかに、当地の殿様が将軍から拝領した香炉の台だという大型の器物がある。そのほか、世界のナガシマ、マラソンの高橋尚子、柔道の山下泰裕、「エーゲ海に捧ぐ」の池田満寿夫、などの色紙がある。いずれもここを訪れての一筆であるところがスゴイ。

 柔道の山下は、次男の東海大生時代の友人だそうで、長い付き合いだそうな。

 ☆  タマヤは本名、ただし、玉家ではなく、玉谷である。
 ☆☆ 漱石の「吾輩ハ猫デアル」の挿絵を描いたことでも有名。

(つけたり) 我が家でも1、2回使ったが、2階の!の庭は見事だ。2階の障子を排してみる石楠花の美しい花色が、いまだに眼に焼きついている。これが見られるのも、じつは傾斜地に作った店構えのせいなのだが…。 


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