ご当地の知られざる名物 
(期間:2009.12.1 - 2010.1.31)

全国に名を馳せている名物以外に、どの町にも「知る人ぞ知る」名物があると思います。
「名産品」「名物料理」「土地っこでいっぱいの食堂」「隠れた小さな美術館」「名物バーチャン?」などなど
ご当地の、あるいは故郷の、知られざる名物をご紹介ください。

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  • [No.207] Re: 名物男 投稿者:   投稿日:2010/01/31(Sun) 21:12
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      マーチャンさん、こんばんは。

    >  もと住んでいた町にも「名物男」がおられました。
    >  北欧系のアメリカ人との二世の方でしたが、子供会の世話役をかってでられ、
    >  町内のご祭礼用の見事な段ボール製の「子ども神輿」を
    >  ほとんどお一人で作られたと伺っています。
    >  そして、碧眼、長身のその方のお姿を「夏祭りの夜店」「盆踊り大会」
    >  などのイベントでいつも見かけました。
    >  残念なことに、引っ越してくる前に、亡くなられました。

     それで思い出したのですが、当地に現役バリバリの名物女がいます。毎年新春に行なわれる市の美術展にかならず油彩画を出品しているひとで、姓が日本名になっているので日本人の奥さんだと思います。この方に対しては、きょうポストに入っていたチラシを見て、まずます尊敬の念を深めました。

     というのは、毎年「老人の日」の催しにかならず顔を出し、仕事中、口はほとんどききませんが、日本人の奥さん方に混じってお茶やお菓子を配ったりしながら甲斐甲斐しく立ち働いている外国人がいたのです。一体どういう素性の方かと、いつも気になっていました。そのナゾがきょう判明しました。

     当地の社会福祉協議会の会報に、役員の名前がずらりと並んでいましたが、そのなかに、冨田クラウジェアさんがいたのです。肩書きは、子育て支援事業部長となっておりました。

     ただの有閑夫人ではなかったのです。アメリカ人か、スラブ系か、北欧系かあっしにはマッタク分かりませんが、当地の美術協会の会員であるだけなく、地元のために日夜一生懸命働いていたのです。ほとんど喋らないのでまことに地味ですが、きっとどえらいひとなのでしょう。


    [No.206] ありがとうございました 投稿者:   投稿日:2010/01/31(Sun) 20:15
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     「ご当地の知られざる名物」にたくさんのご投稿をありがとうございました。

     また、その内容も「カクテル」から「乾燥いも」まで多岐にわたり、
     地域的にも「宮崎県」から「栃木県」と、各地からのお便りをいただくことができました。
     今度、日本国内を旅した時は、ぜひ、それらの名品・逸品を味わい
     お土産にしたいと思っております。

     また、地元の「老舗」をシリーズでご紹介くださった方もありました。
     
     ここに出て来た「お店」や「生産者」の方が、これからもずっと続けてくださるといいですね。

     ご投稿をいただいたみなさま、ご覧頂いた皆様、ありがとうございました。


    [No.205] Re: 名物男 投稿者:   投稿日:2010/01/31(Sun) 20:12
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    唐辛子 紋次郎さん

    >  当町での花火大会も、数年の中断はあったものの、お陰でことし第50回目を迎えるという。会場には観覧席のほか、放送席も設けられ、つぎつぎ打ち上げられる花火の解説をしている。
    >
    >  最近はやらなくなったが、このとき必ず登場するのが、もと花火師だったという富田という名の老人。花火をひとつひとつ丁寧に解説していたが、かれの一番の特徴はいよいよ上がるという時「つぎは大輪の菊です、ドン」とかならず最後にドンがつく。ここで観衆の笑いがおこり、雰囲気が一段となごやかになる。つぎのが上がるときもきっと云うだろうなあと思っていると、これがかならず云う。しわがれ声でやるのでじつに効果的だ。

     いいですね。
     そういう名物男。

     もと住んでいた町にも「名物男」がおられました。

     北欧系のアメリカ人との二世の方でしたが、子供会の世話役をかってでられ、
     町内のご祭礼用の見事な段ボール製の「子ども神輿」を
     ほとんどお一人で作られたと伺っています。

     そして、碧眼、長身のその方のお姿を「夏祭りの夜店」「盆踊り大会」
     などのイベントでいつも見かけました。

     残念なことに、引っ越してくる前に、亡くなられました。


    [No.204] 名物男 投稿者:   投稿日:2010/01/31(Sun) 10:57
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     当町での花火大会も、数年の中断はあったものの、お陰でことし第50回目を迎えるという。会場には観覧席のほか、放送席も設けられ、つぎつぎ打ち上げられる花火の解説をしている。

     最近はやらなくなったが、このとき必ず登場するのが、もと花火師だったという富田という名の老人。花火をひとつひとつ丁寧に解説していたが、かれの一番の特徴はいよいよ上がるという時「つぎは大輪の菊です、ドン」とかならず最後にドンがつく。ここで観衆の笑いがおこり、雰囲気が一段となごやかになる。つぎのが上がるときもきっと云うだろうなあと思っていると、これがかならず云う。しわがれ声でやるのでじつに効果的だ。

     実際は花火がドオ〜ンと大音響を出すので、わざわざ人間がその前にやる必要もないのだが、もと花火師ともなると、そうは行かないのだろう。なかには稀にだが、上まで上がらずに下に落ちてしまうものもある。ドン。これには、ちゃんと上がってくれよという、年老いたもと花火師の願いというか、気持ちがこもっているのだろう。

     毎年このもと花火師の人気が広がって、東京あたりからも見物人が大勢集まってくるようになった。それが最近はマッタク放送席に姿を見せない。当時でもかなりの年と思われるので、もうこの世にはいないのかも知れない。花火の時季になると、いつでもこの男のことを思い出す。


    [No.203] Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜11 投稿者:   投稿日:2010/01/28(Thu) 09:47
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    画像サイズ: 420×560 (40kB)
      事業所店舗の前景。


    [No.202] 老舗だらけのわが街・佐倉〜11 投稿者:   投稿日:2010/01/28(Thu) 09:44
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    画像サイズ: 420×560 (36kB)
      老舗のトリは読者諸氏の期待を裏切って葬祭業。過日「おくりびと」がヒットし、一躍表舞台に踊り出した観のある職業であり商売である。

     店頭の幟に「創業明治19年」とあったので早速扉を押した。明治19年といえばもう120年の余になる。生憎社長が不在で面白い話は聞けなかったが、まず社長の年を聞いて驚いた。

    おそらく前社長が急死したのだと思うが、4代目は当年とって37歳だという。松井と云う名は初代の名だが、現在の社長は海保。松井の家は絶えたが、後継が創始者の名を残して営業をつづけているようだ。

     最近扱った有名人の葬儀を問うと、言下に佐倉市の三代目市長、堀田正久氏の葬儀を挙げた。葬儀は堀田家のほか、市民葬も同葬儀社が請け負ったそうだ。★つづいて市長を引き継いだ4代目菊間健夫氏のも、こちらで手がけたよし。あと、街の名士といえば銀座の木村家からの暖簾分け第一号の木村屋。その当主のときも、ここでやったという話だ。

     現社長は、若者らしくブログを開設し、また最寄駅まえに案内所をつくるなど需要掘り起こしに積極的のようだ。また地元の商工会議所では総務、葬務ではない、総務委員長を務めているよし。なかなかのやり手であるようだ。

    ★新潮社「堀田家三代記」の著書がある。あっしが東京から佐倉へ転居した頃は、ちょうどこの正久氏が市長を務めておられた。この方は、人気抜群で市長を4期、16年の長きわたり市のために尽力せられた。ウィッキーなどを覗くと、正久氏は滋賀県、彦根市の井伊直愛市長とならんで、「殿様市長」の愛称で呼ばれているようだ。

     * なお、この項、名物というのとチョッと違うように思われる方もあろうが、老舗そのものがすでに当町の名物、また、これだけ長くつづく店の提供する商品、サービスに名物の名に値しないものはまずあるまいと考えての深慮ある?書き込みのつもりである。この項を閉じるにあたって、読者諸氏の長期間のご精読を謝す。


    [No.201] Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜10 投稿者:   投稿日:2010/01/27(Wed) 21:20
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    画像サイズ: 550×368 (69kB)
    この写真にある佐倉城の大手門は、説明に明治5年頃(阿部忠惟氏)撮影とあるので、鈴木金物店の創業も丁度その頃にもなろうか。


    [No.200] Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜10 投稿者:   投稿日:2010/01/27(Wed) 19:35
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    画像サイズ: 560×420 (65kB)
    弥勒町に位置する店舗の前景。


    [No.199] 老舗だらけのわが街・佐倉〜10 投稿者:   投稿日:2010/01/27(Wed) 19:29
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    画像サイズ: 420×560 (56kB)
     世の中にはいろいろな商売があるが、この老舗めぐり、布団の次は金物である。創業は明治の7、8年らしい。商売は最初から金物というわけではなく、途中家具なども手がけたらしいが、古い記録がいま残っていないので、詳しいことはよく分からない。

     初代は道太郎、金物を始めたのが忠次郎で、いまも丸に忠の字の商標を使っている。店内は夥しい品種の金物で満ち溢れているが、そのほか、店の隣の空き地には物置、ブロック、屋根材など、あらゆる種類の建材が所狭しと並んでいる。

     この店の取り扱い品目では、金物より、各種建材のほうが比重が高いようだ。目に付いた草刈ガマには一本一本、(丸忠)が誇らしげについている。そこで鎌に話題を移すと、鎌は、お客さんがよく見ているらしく、ろくに使わない内に刃の毀れる粗悪品で散々こりたお客さんが八街あたりからわざわざ車で買いに来るという。鎌の袋には(丸忠)のほか、品質保証の4文字がひとつひとつに大きく印刷されている。

     こういう店に来ていつも思うのは、これだけの品物をわずか数人の人員で処理するのであるから、ほんとうに大変だということだ。高度の商品知識とそれ相当の労力、その双方が同時に要求されるわけだから。


    [No.198] Re: 老舗だらけの街・佐倉〜9 投稿者:   投稿日:2010/01/25(Mon) 22:35
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    画像サイズ: 420×560 (60kB)
    全部ではないが、老舗はこうした幟のようなものを店先に出しているところが多い。必ず創業百何年と書いてある。

    ここは創業明治5年と云うからかれこれ140年近くにもなる。営業年数のほか、江戸に負けていないという意味か、「江戸まさり」などと紺地に染め抜く店もある。現当主は三谷博道さんと云い、初代から数えて4代目に当たるよし。創業当時は近くに綿の畑もあったという。二代目が偉かったそうで、千葉県で初めて動力の機械を使い出した。手動では1時間に2〜3貫しか出来なかったのが、動力を使った「前切り」では、同じ時間にその約10倍の20貫もの綿が出来たそうだ。

     昔は弓を使って綿を打つ綿打ち職人と云うのがあったらしいが、そのときの弓なども残念なことに今ではまったく残っていないらしい。社長さんはそんな面白い話をいろいろと聞かせてくれた。


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