アンデルセンの童話 童話であっても、愛ということを考えさせられる話です。
人魚姫は、憧れの王子の前では 美しい姿でも、声を出せないというハンデがあります。 海の魔女の魔法で、人間になれたのだから、声はその引き換えに失うのです。 でも、これでは王子にメッセージを伝えられません。 どうみても不利な条件です。
だから、そばにいる人魚姫をおいていって、王子は隣の国に行き 美しい姫と会い、喜び、自分を海で救ってくれたのはあなただったと錯覚して 隣の国の姫と結婚することになる。 それは違います、王子様を助けたのは私ですと、人魚姫は言えないのです。舌を失っているから。
最後に 人魚姫はナイフで王子を刺せば、自分は助かるのですが 人魚姫は、王子を殺すことはできず、自分が泡になってしまう道を選びます。 ここに献身的な愛があります。
王子としたら 人魚姫が自分を助けてくれたことは、わかりません。 そもそも、自分の前にいる美しい娘が人魚姫であったことも、 その娘が自分をどれほど好きかということも、王子はわかりません。
二人の立場は対等ではなく、人魚姫はとても不利な条件になっていて フェアではありません。 それは童話だからしかたがないことなのか もっと書き方が他にあってもよかったかもしれません。
それはともかく 自分を犠牲にして愛をつらぬくということは ひとつの愛の形だと思います。 受ける愛よりも、与える愛を。 愛とは求めるよりも与えるもの。 もっとも、一方的な愛よりは、双方向的な愛のほうが安定して長続きするのですが。
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