パソコンで、あかげっと、と入れても赤毛布とは出ない。広辞苑ならでる。やはり、広辞苑はエライのである。むかし、明治や大正のころならこういう面白い言葉が通用した。東京見物に外套がないので毛布をかわりに着こんで出かけた。田舎者の代名詞が赤ゲットだったらしい。
もちろん著者のマーク・トゥエインは日本人でないからそんな言葉は使わない。原題はInnocent abroadとなっているそうだ。訳者は褒めちぎっているが、あっしはここにアメリカン・スタンダードの原型を見る。アメリカン・スタンダードこそグローバル・スタンダードだという。
だからアメリカ人はという方向には持っていく心算はないが、アメリカ文明の欧州文明に対する優位というか、『強すぎる』自負が、あっしには感じられる。
でも、さすがトゥエインである。このままだとただケチをつけただけといわれないように、ちゃんと手を打っている。中世の神学者アベラールと女の弟子エロイーズとの恋模様なども挿入して、読者へのサービスも忘れていない。
しかし、その後がいけない。英語が通じなかったと紋句たらたら。また、ウィスキーなどを注文して、お望みのものが出てこなかったといってはまた、不平たらたら。今はフランスのホテルならたいてい何処でもミニバーに入っているはずだし、英語ペラペラ人間だってべつに珍しくもない。パリの空港など、日本語をしゃべるおっさんまでいた。トゥエインは、ちと早く生まれすぎただけである。
著者にひとこと申し上げると、自国でも「当店、フランス語通用」の看板の出ているのと同じと書いているが、その箇所がイシ、オン、パルル、フランセーズとなっていた。ここは正確には、フランセでなくてはならぬはず。自国でも看板自体まちがっていることを棚にあげ他国のことばかりいうのもイカガナモノであろうか。(-_-;)これだけで見ても、あなたのお国だって、程度はそう変わらない。ほとんど似たような紋じゃないんでしょうかね、トゥエインさん。
アメリカ人の読者も、五輪で何回も聞かされたれいのUSAの大合唱ではないが、愛国心は相当強いらしいので、その気持ちはよく分かるが、なにもこんな挑戦的なタイトルをつけなくっても、と思う箇所が少なからずある。
たとえば、第二十章 コモだって?憚りながらアメリカにタホー湖がござる。第十三章 「カンカン舞踊」にはぞっとする 第二十二章 ゴンドラは水上をすべる霊柩車 第七章 道義もなければ、ウィスキーもない
ならあーた、ウィスキーのない国になんぞ、わざわざ行くなよ。うちでジッとして居れ、なんて云いたくなってくる。あっしなんぞ、日本と違ってるからこそ、却って面白いと感じるのだが…。
いまなら、こうした悪口に終始したような、チョウ辛口の本は、書店の店先に置いても売れ行きが芳しくないのではないか。むしろ、お役立ち情報満載の本の方が一般読者には受けると思うが…。
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