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[No.286] モスクワ空港で 投稿者:Pan  投稿日:2010/11/22(Mon) 15:06
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みなさん、こんにちは。

 ベルリンの壁が崩壊する10年も前の事、初めてのヨーロッパの旅で、往路
はアンカレッジ給油のロンドン着、帰路はアムステルダムからモスクワ経由で、
好奇心と共に何やら首筋が寒くなるような予感を感じていました。

 深夜のモスクワ空港に着陸したとき、空港の不気味な暗さにまず驚きました。

 給油時間中一度飛行機から離れて待つようにとのことで、デッキからゾロゾ
ロと地面に降り立ち、あちこちに立っている銃を持った兵隊のシルエットに身
のすくむ思いをしながら、連れて行かれたところは免税ショップでした。

 薄暗いとはいえ、珍しい陳列品をきょろきょろ見回している内に怖かった事
も忘れ、幾つかの小物を買いました。

 買う品物を決めてからその伝票を持ってレジへ行き、長い行列を待って支払
ってからまた領収証を持ってカウンターへ行ってまた並び、やっと品物を手に
入れることが出来ました。気が付いたらもう出発の時間が接近しています。

 さて、飛行機へ戻ろうと思ったときには周囲に知った人は一人もいません。

 免税店を出ても人通りも少なく、どちらへ行って良いのか見当も付きません。
 もし、あちこち走り回ったら、あの銃口が火を噴く光景が脳裏に浮かび、頭
の中が真っ白になって立ちすくみました。

 飛行機から降りたとき、チケットのような物を渡され、これで搭乗するよう
にと言われていたことを思い出すまで、暫く掛かりました。

 そのチケットには搭乗口の番号が書かれていて、すぐに近いことも判りまし
た。  降りるときはぐるっと廻ってきたようです。

 添乗員から、くれぐれも遅れないように早い目に戻ること、チケットを失え
ないこと、と念を押されていたことを思い出したのは座席に座ってからでした。

 車輪が地面を離れたとき、やっと我に返って深呼吸ができました。

 長い時間のひや〜〜〜〜〜っとでした。

        ***** Pan *****


[No.288] Re: モスクワ空港で 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/22(Mon) 18:45
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Panさん、こんばんは

>  ベルリンの壁が崩壊する10年も前の事、初めてのヨーロッパの旅で、往路
> はアンカレッジ給油のロンドン着、帰路はアムステルダムからモスクワ経由で、
> 好奇心と共に何やら首筋が寒くなるような予感を感じていました。
>
>  深夜のモスクワ空港に着陸したとき、空港の不気味な暗さにまず驚きました。

私もはじめて外国に行ったのは
1981年夏にアエロフロートでフランクフルト行きでした。
モスクワに下りたら、がらんとした広い空港に誰もいなくて驚きました。
行き先掲示板には、北京とか平壌とかハノイが並んでいて、ここは共産圏だな思いました。

トイレは新しかったが、ドアが開かなくてしばらく出られず
このままモスクワに置いていかれたら大変と焦りました。


[No.299] Re: モスクワ空港で 投稿者:Pan  投稿日:2010/11/24(Wed) 18:17
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男爵さん、あやさん、桐子さん、こんばんは。

 コメント有り難うございます。

 その未だ数年前、多分1975年頃だったと思いますが、会社の職員を初めてヨーロッパへ出張させました。
 当時はアメリカへの技術視察旅行が流行っていましたが、ヨーロッパには技術視察に行くほどの物は何も無いと言われた頃です。
 後で判ったことですが、これは大きな誤りでしたね。

 その時、東ドイツのブランデンブルグ門からバスで入るオプション・ツアーが始まった頃でした。
 ほんの少し入った免税店へ行き、ロシア産品を買ってくるだけですが、これにはスリルもあってみんな殺到したようです。

 つまり彼らはドルが欲しかったのですね。(^o^)
 給油にわざわざ1時間以上も掛けたのも、ベルリンの壁に観光バスの通れる窓を開けたのもドル欲しさだったようです。


     ***** Pan *****


[No.291] Re: モスクワ空港で 投稿者:   投稿日:2010/11/22(Mon) 21:48
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>  免税店を出ても人通りも少なく、どちらへ行って良いのか見当も付きません。
>  もし、あちこち走り回ったら、あの銃口が火を噴く光景が脳裏に浮かび、頭
> の中が真っ白になって立ちすくみました。
>
>  添乗員から、くれぐれも遅れないように早い目に戻ること、チケットを失え
> ないこと、と念を押されていたことを思い出したのは座席に座ってからでした。
>
>  車輪が地面を離れたとき、やっと我に返って深呼吸ができました。
>
>  長い時間のひや〜〜〜〜〜っとでした。
>

日本の中でならどうにもなること、外国のしかも! のところでは
どんな思いだったか、胸のうちがわかります。

ほんとうに長いひやっとでしたね。


[No.295] Re: モスクワ空港で 投稿者:   投稿日:2010/11/23(Tue) 10:46
[関連記事URL:http://homepage3.nifty.com/kiriko/

Panさん、みなさん、こんにちは。

>  ベルリンの壁が崩壊する10年も前の事、初めてのヨーロッパの旅で、往路
> はアンカレッジ給油のロンドン着、帰路はアムステルダムからモスクワ経由で、
> 好奇心と共に何やら首筋が寒くなるような予感を感じていました。
>
>  深夜のモスクワ空港に着陸したとき、空港の不気味な暗さにまず驚きました。

Panさん、恐い経験をなさいましたね。
Panさんと同じ頃だった思いますが、私も似たような経験をしました。

現役時代、夏季休暇を使って、ヨーロッパを徘徊しました。
節約のためアエロフロートを使い、モスクワ経由でアチラに参りました。

>給油時間中一度飛行機から離れて待つようにとのことで、デッキからゾロゾ
> ロと地面に降り立ち、あちこちに立っている銃を持った兵隊のシルエットに身
> のすくむ思いをしながら、連れて行かれたところは免税ショップでした。

おなじです。(ξ^∇^ξ)
小腹が空いたので空港のラーメン店(暖簾に日本語でラーメンとあった)へ
はいり注文しました。

2,3分で丼が出てきて、みれば即席ラーメンではありませんか!
真ん中辺りが未だほぐれてさえいません。

でもまぁ、食べましたけれど。

当時彼の地は貧しかった所為か、トイレットペーパーのごわごわ硬かったこと。

>  買う品物を決めてからその伝票を持ってレジへ行き、長い行列を待って支払
> ってからまた領収証を持ってカウンターへ行ってまた並び、やっと品物を手に
> 入れることが出来ました。気が付いたらもう出発の時間が接近しています。

そうそう、諸手続きが面倒でしたね。
空港の薄暗さと職員の無愛想さが思い出されます。

                     桐子


[No.324] Re: モスクワ空港で 投稿者:   投稿日:2010/11/30(Tue) 09:11
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ツリーのみなさま、おはようございます。

 いや、モスクワ・シェレメチェボ空港は、後々まで語り継がれることでしょう。

 しかし、ここへ離着陸するアエロフロートも「恐怖」でした。

 当時は「格安航空切符」は売られていなかったので、一般庶民はヨーロッパへ行くのに
 アエロフロートをよく利用していました。
 アエロフロートの、イリューシン、ツボレフなどの機種は、よく揺れるので有名でした。
 食事の時に出てくるコーヒーには絶えず「さざ波」が立って今にも溢れそう。

 椅子は、右側の席はリクライニングのまま動かない、
 真ん中の席はリクライニング不能、
 通路側の席はどちらもできず、たえず「がくがく」しているような状態でした。

 「ハラハラ」することもありました。

 しかし、このアエロフロート、不思議と「大事故」は起こしていません。
 もともと、軍用機なので、パイロットが優秀で、少しぐらいのトラブルからの
 脱出は「お茶の子」だと聞いていましたが、本当でしょうか。


 
 


[No.327] Re: モスクワ空港で 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/30(Tue) 09:57
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みなさま、おはようございます。

>  当時は「格安航空切符」は売られていなかったので、一般庶民はヨーロッパへ行くのに
>  アエロフロートをよく利用していました。
>  アエロフロートの、イリューシン、ツボレフなどの機種は、よく揺れるので有名でした。
>  食事の時に出てくるコーヒーには絶えず「さざ波」が立って今にも溢れそう。

私は1981年ドイツに行った時と
1982年帰国の時に利用しましたが
乗客は日本人が多かった。

成田からの飛行機は窓のブラインドが閉まらない。
ある乗客が西日がさすと文句を言ったら
スチュワーデスが来て、目の前で週刊誌をびりっと裂いて
ガムテープで窓の眼パリをしました。

隣の若い女性グループは以前に乗った飛行機は
雨漏りがしたから、この飛行機はまだましと言っていました。
 食事にキャビアが出たのでみんな喜んでいましたが。

とにかく揺れましたね。
座席のガタピシなど
それから10年後に乗った中国の飛行機と同じ。
中国の飛行機ではシートベルトがきかず手でベルトを押さえていました。

明日から新しいテーマとなります。
そちらもどうぞよろしく。


[No.338] Re: モスクワ空港で 投稿者:   投稿日:2010/12/02(Thu) 16:54
[関連記事URL:http://homepage3.nifty.com/kiriko/

マーチャン、男爵さん、みなさん、こんにちは。

>  当時は「格安航空切符」は売られていなかったので、一般庶民はヨーロッパへ行くのに
>  アエロフロートをよく利用していました。

そうでした。
私も安い搭乗券を求めてアエロフロートにしました。

夏、機内に入りますと、霧状の靄がもうもうと噴出していました。

びっくりして日本人の乗務員に尋ねましたら、冷房装置という
事でした。(((((((((((^θ^;

                  桐子