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[No.389] 美味礼賛 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/01(Sat) 19:48
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謹賀新年
このテーマもあと一ヶ月です。
何か思いついたら、どんどん書いてください。
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作品社編集:生きるってすばらしい14 美味礼賛
より

真尾悦子(ましお えつこ)
そのころ、私たちはいわきの旧平市に住んでいた。三十年前(昭和二十七、八年)の話である。
持病のぜんそくに肺結核を併発した夫は、鉄道で一時間北の県立病院で、肋骨七本を切除する手術を受けた。
  ........
何度も生死の境をさまよった夫は、翌年の春になってようやく快方に向かった。
桜が散りはじめたころに、彼は病院の外出許可を得て一日帰宅した。
子らは、病みあがりの父親にまつわりついてきゃっきゃっとはしゃいでいた。
私は、内職の仕立物の手を一刻も休めてはいられなかった。珍しくもないことだが、米びつが空っぽなのである。せっかく、久しぶりに親子四人が揃ったのだ。何とかして、夕食にはみんなであったかいご飯を食べたい。

(台所には茶わん一杯のメリケン粉しか残っていなかった。夫はメリケン粉を水で溶いて、近所の神社で拾った松ぽっくりを燃料にして戸外でコンロに火をおこし、油をひいたフライパンをかけて、ニワトリとかチューリップの形にして焼いた。子どもたちは歓声を上げて楽しそうに食べ、母親の口にも入れてくれた)

(こうしたむかしの貧しかった頃をふりかえったあと)
高度成長以来、食べるものはもちろん、子どもの洋服やおもちゃまでめまぐるしく流行が変わって、これでもか、これでもかというほど街にはんらんしている。
そういうぜいたくな品々に埋まり、甘い菓子やジュースに食傷し、使い捨てを当然として成長する子どもたちを見るとき、私はふっとあのときの薄焼きを思い出してしまうのである。
愚かな親とわらわれるだろうが、茶わん一杯しかないメリケン粉を、いかに最大限に生かして使おうかと夫は真剣だったし、私はひと針でも早く縫い上げて、賃金を米に換えたい一心であった。
  .......

あの火のわが家のちゃぶ台には、毫も悲惨な雰囲気はなかった。子も泣かないし、親も嘆くヒマなどありはしない。絵本もおもちゃも持たない子であったが、フセイパンの中から生まれるメルヘンに、幼い心をおどらせていたのである。
おカネも品物も、ないよりは、たっぷりあったほうがよい。貧乏はしたくない。つらいものである。しかし人は、馴れたつもりでも、ない苦しみには日々新たに心身を苛まれるが、あるありがたさにはすぐに鈍感になってしまうものらしい。
私も、やはり高度成長の恩恵をうけて、どうやら人並みにちかい暮らしをするようになった。そして、重たくて持ち上がらないほどの米を米びつに入れるときも、むかしほどの感動を覚えなくなっている。おそろしいことだと思う。
  ........
戦時下の窮乏も、戦後の混迷も知り尽くしているはずの私たちまでが、現在の豊かさに酔い痴れていはしないだろうか。まして、それを知らずに育った若い人びとが、これがあたりまえ、とおおらかに享受していても、無理はない。
    ......

人は、豊かになって困ることなどあり得ない、と私も思っていたけれど、物やカネが、かんじんの心を奪い去ると知って、うろたえている。
こんなことを言えば、誰かにぶン殴られるかもしれないが、自分をかえりみて、少うしハングリーで、少うし寒いぐらいのほうが、足もとがよく見えるのではないか、と、このごろつくづく思うようになった。