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[No.52] ラジオ作り。 投稿者:  投稿日:2010/12/03(Fri) 17:35
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  S.26年、新制高校2年の時、クラスに電気屋の子供がいてラジオ作りを教えて貰いながら、5球スーパーを作ってNHKの放送を受信して楽しんだのを思い出しました、親が一番喜びましたですね。

 当時、ラジオ作りがブームみたいになっていましたが、今思えば良く作ったなと思います、大分長く活躍してくれました。

 皆さんの中にも作られた方が多く居られるのでは。


                            〜〜 昭 〜〜


[No.54] Re: ラジオ作り。 投稿者:   投稿日:2010/12/03(Fri) 18:14
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昭さん こんにちは

>  皆さんの中にも作られた方が多く居られるのでは。

私も作りました。
鉱石ラジオに始まり、並4、五球スーパーを作りました。
また LPレコードプレヤーも自作しました
当時まだLPプレヤーは輸入品しかなく、1/5の値段で出来たような記憶があります。

カレチ                             


[No.55] Re: ラジオ作り。 投稿者:BUP  投稿日:2010/12/03(Fri) 20:08
[関連記事URL:http://bup7.blog37.fc2.com/

尋常小学校5年生の時、”子供の科学”か、またはその様な雑誌で見て、”鉱石ラジオ”作りました、その後、モールス信号へ・・・、一生の運命がそこで変わりました。
                           


[No.57] Re: ラジオ作り。 投稿者:   投稿日:2010/12/03(Fri) 20:57
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昭さん、カレチさん、 BU さん   こんにちは

鉱石ラジオ  
それから
トランジスター
の時代になったのですね。                           


[No.58] Re: ラジオ作り。 投稿者:  投稿日:2010/12/03(Fri) 23:17
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  男爵さん、こんばんは。

> 鉱石ラジオ  
> それから
> トランジスター
> の時代になったのですね。 

 鉱石ラジオ→真空管ラジオ(4球、5球)→トランジスタの時代になりました。


                        
                          〜〜 昭 〜〜                          


[No.59] Re: ラジオ作り。 投稿者:   投稿日:2010/12/04(Sat) 07:24
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昭さん、こんにちは

>  鉱石ラジオ→真空管ラジオ(4球、5球)→トランジスタの時代になりました。

トランジスタのあとはICの現代になりましたね。

マイコンという言葉が出てきたのはいつでしょう。                   


[No.64] Re: ラジオ作り。 投稿者:   投稿日:2010/12/04(Sat) 09:48
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 男爵さん、皆さん、こんにちは

> >  鉱石ラジオ→真空管ラジオ(4球、5球)→トランジスタの時代に…

私は、高周波1段→周波数変換→中間周波2段→検波→低周波増幅→
電力増幅(42PP)整流管という9球ラジオを好んで作っていました。

> トランジスタのあとはICの現代になりましたね。

> マイコンという言葉が出てきたのはいつでしょう。               

1946年、アメリカのインテル社が、真空管とスイッチを使って世界最初の
コンピュータ(ENIAC)を作りました。
翌1947年にアメリカのベル研究所がトランジスタを発明。

1974年、モトローラ社がワンボードのマイコンを発売…とありますから
これがマイコンという名称ま始まりでしょう。
日本では昭和51年に日本電気が日本初のマイコン組み立てキッドを発売
したそうです。(価格8万8500円)


              瀬里恵    


[No.67] Re: ラジオ作り。 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/04(Sat) 14:53
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瀬里恵さんの神道や刀剣の知識と電子製品の製作とは
どうもうまくつながらないのですが.....

> 私は、高周波1段→周波数変換→中間周波2段→検波→低周波増幅→
> 電力増幅(42PP)整流管という9球ラジオを好んで作っていました。

> > マイコンという言葉が出てきたのはいつでしょう。               
> 1974年、モトローラ社がワンボードのマイコンを発売…とありますから
> これがマイコンという名称ま始まりでしょう。
> 日本では昭和51年に日本電気が日本初のマイコン組み立てキッドを発売
> したそうです。(価格8万8500円)

当時の電子工学の先生が
いまに
子どもでも大型計算機なみのコンピュータを持つようになって
夢のような世界をおくられるようになると予言していましたが
とても信じられませんでした。


[No.63] Re: ラジオ作り。 投稿者:   投稿日:2010/12/04(Sat) 09:44
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男爵さん こんにちは

>トランジスター
>の時代になったのですね。                           

トランジスターの出始めのころ、ソニー(そのころは東通工だった?)のトランジスター
ラジオのキットを買って作りました。一石増やせば感度が上がるかと思って、試みましたが、
ノイズは増えるばかりで、がっかりしましたっけ。


[No.62] Re: ラジオ作り。 投稿者:   投稿日:2010/12/04(Sat) 09:44
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BUPさん こんにちは

>尋常小学校5年生の時、”子供の科学”か、またはその様な雑誌で見て、”鉱石ラジオ”作りました、その後、モールス信号へ・・・、一生の運命がそこで変わりました。

へーえ、私は、ついにアマチュア無線には挑戦せずに終わりました。

「無線と実験」誌と言うのがありましたね。スパイダーコイルとか巻きましたよ。
ハネカムコイルと言うのもありましたね。


[No.66] Re: ラジオ作り。 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/04(Sat) 14:48
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BUPさん 紫竹のさん  こんにちは
>
> >尋常小学校5年生の時、”子供の科学”か、またはその様な雑誌で見て、”鉱石ラジオ”作りました、その後、モールス信号へ・・・、一生の運命がそこで変わりました。
>
> へーえ、私は、ついにアマチュア無線には挑戦せずに終わりました。

鉱石ラジオ アマチュア無線
秋葉原の正統ユーザがマイコン雑誌繁盛の基礎を作り
こんにちのパソコン、インターネットの全盛時代につながっていったと思います。


[No.69] Re: ラジオ作り。 投稿者:   投稿日:2010/12/04(Sat) 16:18
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> 尋常小学校5年生の時、”子供の科学”か、またはその様な雑誌で見て、”鉱石ラジオ”作りました、その後、モールス信号へ・・・、一生の運命がそこで変わりました。

BUPさんから10年ほど遅れて生まれた私メが、同じく小学校5年生のときに作ったラジオは、
時代が進んで、「並4」でした。もう今はないと思いますが「ナナオラ」商標の組み立てキットを、
何も分からないまま「実体配線図」通りに組み立てたら、音が出ました。

BUPさん同様、そこで一生の進路が決まってしまったような気がします。


[No.60] Re: ラジオ作り。 投稿者:   投稿日:2010/12/04(Sat) 09:20
[関連記事URL:http://fine.ap.teacup.com/serie-brog/

昭さん、皆さん、今日は。

私は昭和23年頃、ラジオ通信講座で学び、いきなりスーパーヘテロダイン
方式の五球(中間周波1段)殻始めました。111Bの電池管ラジオや、鉱石ラジオ
も一応作りましたが、所詮はオモチャ…、かすかに1〜2局しか入りません。

組み立てた裸のラジオのシャーシーを裏返しに抱え、配線を点検していたら
B電源に感電して、42PP回路の8球ラジオを取り落としヒヤッとした事も
ありましたネ。

あの頃海軍放出の、錨のマークの付いたマツダ真空管が街に溢れ、そのうち
「神マツ」と称する錨のマークの付いたマツダ真空管のコピー製品が出回りました。

鐘の鳴る丘、陽気な喫茶店、愉快な仲間、徳川無声の西遊記、君の名はなどなど
組み立て&修理をしながら楽しんだものです。

やがて、トランジスターになり、テレビが出始めて、引退しましたけどネ。


               瀬里恵


[No.61] Re: ラジオ作り。 投稿者:   投稿日:2010/12/04(Sat) 09:43
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> 皆さんの中にも作られた方が多く居られるのでは。

はーい、いますよ。
戦中の中学生のころは、鉱石からUX30の単球ラヂオから再生式三球から四球ラヂオ。

なぜ、UX30が2ボルトなのか不思議でした。乾電池2本で3ボルトになるのを抵抗で
電圧を落とすなんてもったいないですからね。
蓄電池なんて、あまり身近にはなかった。

戦後はスーパーになりましたね。部品メーカーが沢山ありましたね。
どこのコンデンサーがいいとか、トランスはどこがいいとか。
ああいうメーカーはその後どうなったのでしょう。


[No.65] Re: ラジオ作り。 投稿者:BUP  投稿日:2010/12/04(Sat) 11:37
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雑誌”無線と実験”は難しくて、子供にはチョット、手が出せませんでした。
子供の頃(昭和10〜12年ころ)アキバは未だ在りませんでした。
自宅は大森でしたが、品川駅の山側の大井町方向に少し下った道路の右側に問屋さんが並んでいて、子供にも売って呉れておりました。
大森駅の近所、線路の向い側に”東京通信工業”とかの町工場が在りましたが、あれが”SONY”になったのでしょうか・・・
ハムでは最初の送受信機は自作でしたが、SSBになってからは八重洲の”FT-101”を、家族用にはトリオのセットを使ってました。
当家は、家族4人、皆、コールサインを持っていたんです。
車にも2Mを付けてましたが、携帯が普及してからは、皆、ヤメテしまいました。
俺がネットで遊んでいるだけ、家族からはツメタイ目で見られているみたい・・・。