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[No.535] 父の手紙 投稿者:   投稿日:2011/01/26(Wed) 21:41
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父の手紙
画像サイズ: 480×320 (35kB)
父は私が何歳の時に入院生活になったのだろう。
中学生になっていたか?というところである。

電話のない時代、父は葉書、手紙をよく書き送ってきた。
書かれた日付がないので、消印に頼るしかないが、そのイ
ンクもかすれて見えにくくなっている。

毎月何通か届いたのだろうか。ここに葉書が71枚、手紙
が30通くらいある。白い葉書が茶色になり、封筒も中の
手紙も変色している。

一冊にまとめておこうかと打ち込み始めたが大変な作業で
ある。

28年4月7日の葉書には
御変わりありませんか。私は別にかわりありませんからご安心下さい。
おばあちゃんの云うことをよくきき、弟をかわいがって、よき姉さん
になって下さい。毎日家庭のことばかり心配して居ります。
ラジオ直りましたから天気のよい日に取りにきて下さい。

が書かれている。
母がすでに亡くなっていた私たち姉弟を病院生活の中で、
どんな気持ちで見守っていただろうかと思うと、涙を禁じ
えない。


[No.537] Re: 父の手紙 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/27(Thu) 04:55
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あやさん  おはようございます

お父さんの思い出ですね。
私も父の書き残した文章などをホームページに移植するつもりで
半月くらい時間をかけたことがあります。

昨日は
伯父や祖父母の墓のところに行ってみたのですが
この今年の大雪で
墓の場所のため、墓は雪の中に沈んでいました。

長岡はいいですね。
越後の雁木を求めて
十日町を中心にあちこち回ったのです。
交通の中心は越後湯沢ですが
泊まるホテルは長岡に多くあり長岡は便利で
バスで大河津分水や上杉謙信ゆかり栃尾に行ったりするにも長岡は便利です。

長岡は好きな町です。


[No.539] Re: 父の手紙 投稿者:   投稿日:2011/01/27(Thu) 11:40
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男爵さん、おはようございます

今夜はパソコンが開けられるかどうか? そんなことで出かける前の
一時を楽しんでいます。

>
> お父さんの思い出ですね。
> 私も父の書き残した文章などをホームページに移植するつもりで
> 半月くらい時間をかけたことがあります。
>

そのままは紹介できない部分もありますが、まとめておきたいと
思うのです。こちらからの返事がないのが残念ですが、父の思い
のこもった手紙を読むと、親不孝をしたと思うばかりです。

> 昨日は
> 伯父や祖父母の墓のところに行ってみたのですが
> この今年の大雪で
> 墓の場所のため、墓は雪の中に沈んでいました。

雪があっても墓参りができるのですね。長岡の親戚のお墓に
入っていた両親と祖母は、富士のふもとの御殿場に移ってき
ました。冬は無理ですね。

>
> 長岡はいいですね。
> 越後の雁木を求めて
> 十日町を中心にあちこち回ったのです。
> 交通の中心は越後湯沢ですが
> 泊まるホテルは長岡に多くあり長岡は便利で
> バスで大河津分水や上杉謙信ゆかり栃尾に行ったりするにも長岡は便利です。
>
> 長岡は好きな町です。

母のふるさとです。そこを好きといっていただいてうれしいです。
大名の落とし子だったと言う、母の祖母は厳格な人でした。

母は色の白い新潟美人? と言われていましたが、受け継がないもんですね(ーー;)


[No.544] Re: 父の手紙 投稿者:   投稿日:2011/01/27(Thu) 21:22
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Re: 父の手紙
画像サイズ: 493×370 (43kB)
あやさん これはたいへんな心の遺産ですね
宝物です。いつまでも大切にしてください。お父上の
子を想う気持ちがヒシヒシと伝わってきます

わたしの亡母は戦時中から当用日記を付けていて、数度
の引越しや改築などのたびに捨てるといいましたが私が反対
して今は昭和26年から平成19年までの56冊が残っています。
読むことはないですが「存在」を感じます

昭和26年の元日のところにはお年玉のことがあって姪へ
¥100、甥には¥200をあげた(男女差別だ(^_-)/)とか
百人一首や追羽根で遊んだとあります。満99歳3ヶ月で
亡くなる2週間前まで日記をつけていました



     さんらく亭@甲子園


[No.555] Re: 父の手紙 投稿者:   投稿日:2011/01/29(Sat) 21:43
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さんらく亭さん、こんばんは。

留守にしていて遅れました。

> あやさん これはたいへんな心の遺産ですね
> 宝物です。いつまでも大切にしてください。お父上の
> 子を想う気持ちがヒシヒシと伝わってきます

あと2日で終りますね。手紙の内容を書く時間があるかどうか、
おっしゃるように宝物です。書いてある内容も私たち姉弟、祖母を
想う気持ちだけです。

>
> わたしの亡母は戦時中から当用日記を付けていて、数度
> の引越しや改築などのたびに捨てるといいましたが私が反対
> して今は昭和26年から平成19年までの56冊が残っています。
> 読むことはないですが「存在」を感じます

すばらしいではないですか! 50年以上のものではないですか。
大事にしないといけませんね。

>
> 昭和26年の元日のところにはお年玉のことがあって姪へ
> ¥100、甥には¥200をあげた(男女差別だ(^_-)/)とか
> 百人一首や追羽根で遊んだとあります。満99歳3ヶ月で
> 亡くなる2週間前まで日記をつけていました
>

すばらしい方ですね。99歳で亡くなり、2週間前まで書いていたとは。
でも、継いでくれるさんらく亭さんがいたからとも言えますよ。

私も若いときのものはあることがあって、そこで全て捨てました。
そんなことで、1991年11月17日からの分しかありません。

それらもいつ止めようかと考えたりしています。