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[No.540] 東京オリンピックのころ 投稿者:   投稿日:2011/01/27(Thu) 12:17
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 じつは東京オリンピックは翌年の1964(昭和39年)年なのですが、その前年に長男が生まれたので東京オリンピックはとくに印象が深い。

 昭和38年は吉展ちゃん事件だの狭山での女子高生殺人事件だの、国鉄鶴見での事故、また三池で炭鉱爆発事故だの悲しい事件、力道山の刺殺事件など数多くあったけれど、ボーリングが大流行したり、鉄腕アトムの誕生など明るい事件もあった。

 長男が5歳くらいになると、川端康成のノーベル文学賞授賞という快挙もあった。

 もっとも、その裏で、三億円事件も起こったけれど…。
   


[No.541] Re: 東京オリンピックのころ 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/27(Thu) 13:51
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唐辛子 紋次郎さん

>  じつは東京オリンピックは翌年の1964(昭和39年)年なのですが、その前年に長男が生まれたので東京オリンピックはとくに印象が深い。

アベベは快調そのもので、まだまだ走られるよという姿の傍らで
円谷幸吉選手は限界、よく頑張ったと(ほめてあげたい)いうシーンでしたね。
あのあとの彼の不幸な人生を考えると、地道なコーチとしての道もあったのにという思いです。

>  昭和38年は吉展ちゃん事件だの狭山での女子高生殺人事件だの、国鉄鶴見での事故、また三池で炭鉱爆発事故だの悲しい事件、力道山の刺殺事件など数多くあったけれど、...

吉展ちゃん事件では、言語学者の指摘はまったく正解、そしてお手柄刑事の活躍でしたね。
リングの上で強い力道山も刃物にはかなわなかった。

>  もっとも、その裏で、三億円事件も起こったけれど…。

三億円の犯人は頭が良い。誰も損をしなかった。 保健会社が損をした。


[No.542] Re: 東京オリンピックのころ 投稿者:   投稿日:2011/01/27(Thu) 20:09
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唐辛子 紋次郎さん みなさん

>  じつは東京オリンピックは翌年の1964(昭和39年)年なのですが、その前年に長男が生まれたので東京オリンピックはとくに印象が深い。

 そうでした。

 「より高く より強く より早く」という歌詞の
 あの歌は「高度成長期の歌」だったのですね。

 また、あの中継放送から、いろいろな新語が、飛び出しました。

 ・ウルトラC 

 ・時間差攻撃 回転レシーブ おれについてこい


[No.543] Re: 東京オリンピックのころ 投稿者:   投稿日:2011/01/27(Thu) 21:16
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マーチャン、 唐辛子 紋次郎さん みなさん

>  また、あの中継放送から、いろいろな新語が、飛び出しました。
>
>  ・ウルトラC 
>  ・時間差攻撃 回転レシーブ おれについてこい

・根性   ・東洋の魔女  ・チャスラフスカ

東京中がオリンピックと東海道新幹線の工事で掘り返されている昭和38年に東京から
大阪へ転勤になったので肝心のいい場面は見られず、いまだに悔しい思いです(;_;)


      さんらく亭@甲子園


[No.557] Re: 東京オリンピックのころ 投稿者:   投稿日:2011/01/29(Sat) 21:52
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東京オリンピックへは行かれませんでした。入場料が高かったからか?

前年祭には行きましたね。どういうことで行かれたのかわかりません。
誰が連れて行ってくれたのか、抽選にでも当ったのか?

それはすごかったですよ。日本の有名な祭りがたくさん見られたような
気がします。

夫は、「東京オリンピック大全集」という本の表紙に後ろ姿が写って
いるのです。開会式の聖火台のすぐ下ので、写ったと言っていました。


[No.559] Re: 東京オリンピックのころ 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/30(Sun) 05:44
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みなさん  こんにちは

> 東京オリンピックへは行かれませんでした。入場料が高かったからか?

麻雀荘のテレビで
開会式の聖火台の場面は見ました。オリンピックよりも麻雀ゲームになりました。

翌年春には
見学旅行で、オリンピック競技場や
高速道路や新幹線の工事現場を見て説明を受けました。
我々の仲間はつくるほうの仕事をするのですから。


[No.562] Re: 東京オリンピックのころ 投稿者:   投稿日:2011/01/30(Sun) 12:42
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マーチャン みなさん

>  「より高く より強く より早く」という歌詞の
>  あの歌は「高度成長期の歌」だったのですね。

あのころは第一線の企業戦士でオリンピックのTVをナマで見る時間もなかった(;_;)
ほとんど夜のニュースでハイライトを見るだけでした

アベベやヘイズやヘーシンクは記録に残る成績で金メダルをとりましたが、
わたしの記憶にいまだに残っている選手がいます
セイロン(現スリランカ)からたった一人で参加した長距離ランナーです。
名前は忘れました

1万メートル競走でビリッけつになりフラフラヨレヨレになりながら最後尾の
選手からトラック3周遅れでようやくゴールインしたときは拍手が鳴り止み
ませんでした。あれには感動しました


      さんらく亭@甲子園