[掲示板へもどる]
一括表示

[No.78] アンクルトリス 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/05(Sun) 19:14
[関連記事

アンクルトリスといえば、柳原良平のデザイン
当時は私はまだ飲む資格はなかったのですが
あこがれのウィスキーでした。

ここはぜひ、さんらく亭さんのコメントがほしいところです。

宇津井健とレッドも。


[No.79] Re: アンクルトリス 投稿者:   投稿日:2010/12/05(Sun) 20:32
[関連記事

Re: アンクルトリス
画像サイズ: 523×458 (45kB)
男爵さん  みなさん こんばんは

> アンクルトリスといえば、柳原良平のデザイン
> 当時は私はまだ飲む資格はなかったのですが
> あこがれのウィスキーでした。

柳原良平さんとは毎年5月に関内での個展で逢っています。横浜市の名誉市民です。
最近、ハイボールが人気復活してアンクルトリスも元気を取り戻しましたね

私の新入社員当時(昭和30)初任給が手取りで¥9910でトリスは1本¥300、角瓶が¥1250、オールドは¥1600でした。ハイボールは1杯¥50だったかな? ハイボールのグラスが大阪では8オンスなのに東京では6オンスと小ぶりなのは東西の文化差でショックでしたね

当時は新入社員からだんだんと年期を重ねていくにつれて飲む酒もトリス→レッド→白札→角瓶→オールド とグレードアップしていく秩序(笑)がありました

> 宇津井健とレッドも。

このへんの話になると尽きませんので止めときます(゜゜)(。。)


     さんらく亭@甲子園


[No.82] Re: アンクルトリス 投稿者:   投稿日:2010/12/05(Sun) 22:28
[関連記事

さんらく亭さん、男爵さん

>
> 柳原良平さんとは毎年5月に関内での個展で逢っています。横浜市の名誉市民です。
> 最近、ハイボールが人気復活してアンクルトリスも元気を取り戻しましたね

アンクルトリスは知りませんでした。
でも写真のかわいいおじちゃま、私も持っていたように思います。
トリスの人形でしたか。

>
> 私の新入社員当時(昭和30)初任給が手取りで¥9910でトリスは1本¥300、角瓶が¥1250、オールドは¥1600でした。ハイボールは1杯¥50だったかな? ハイボールのグラスが大阪では8オンスなのに東京では6オンスと小ぶりなのは東西の文化差でショックでしたね

私も当時の給料袋があるはずなんですが、探してみつかりません。
私も同じ年代に就職、すぐに「組長手当」¥300? とか言うのがつきました。
10代のときに組長だったんです。トリス並みの組長ですね。
組員(部下)はというと、受付の女子2人、うしろに座っていた(何をやっていたのか)女の子2、3人だったでしょうか。

>
> 当時は新入社員からだんだんと年期を重ねていくにつれて飲む酒もトリス→レッド→白札→角瓶→オールド とグレードアップしていく秩序(笑)がありました
>

ふふんっ! このへんのところは理解できます。


[No.86] Re: アンクルトリス 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/06(Mon) 07:50
[関連記事

組長のあやさん  こんにちは

> 私も当時の給料袋があるはずなんですが、探してみつかりません。
> 私も同じ年代に就職、すぐに「組長手当」¥300? とか言うのがつきました。
> 10代のときに組長だったんです。トリス並みの組長ですね。
> 組員(部下)はというと、受付の女子2人、うしろに座っていた(何をやっていたのか)女の子2、3人だったでしょうか。
   クレヨンしんちゃんの幼稚園の「ひまわり組」のようなもの?

話は変わりますが
黒部の太陽の映画にも出てくる
あのダムの建設に従事した某建設会社にかつていたことのある先生の話
京都の大学を卒業して、その某建設に就職したら
「準組員を命ずる」という辞令をもらったそうです。
半年後に
「組員を命ずる」という辞令で正式組員になったとか。

関西の建設会社は今でも○○組と名乗っている会社があります。
これに対して、関東の建設会社は組をとって○○建設にしたのは、GHQの指導があったからで、関西にはGHQの影響が及ばなかったからという説があります。


[No.87] Re: アンクルトリス 投稿者:   投稿日:2010/12/06(Mon) 11:04
[関連記事

組長のあやさん  男爵さん こんにちは

> 京都の大学を卒業して、その某建設に就職したら
> 「準組員を命ずる」という辞令をもらったそうです。
> 半年後に
> 「組員を命ずる」という辞令で正式組員になったとか。

わたしの古巣でも昭和31年までは職階制度というのがあって社員を
職員(ホワイトカラー)と工員(ブルーカラー)に別けて人事管理
を行っていました
工員は新人から年功を積んでいくと 伍長→班長→組長と昇進しても
そこで行き止まり。その上の主任は職員が就いていました

その後この制度が撤廃され職・工の区別(差別)がなくなりました。

戦後の労働運動の中での大きい出来事でした


     さんらく亭@甲子園


[No.88] Re: アンクルトリス 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/06(Mon) 11:55
[関連記事

さんらく亭 さん こんにちは

> わたしの古巣でも昭和31年までは職階制度というのがあって社員を
> 職員(ホワイトカラー)と工員(ブルーカラー)に別けて人事管理
> を行っていました
> 工員は新人から年功を積んでいくと 伍長→班長→組長と昇進しても
> そこで行き止まり。その上の主任は職員が就いていました

なるほど
お酒の会社でも組長はあったんですね。

クレヨンしんちゃんが
わざと園長先生のことを組長というのは組を意識して言わせているわけですが
○○組という組織は現代も残っていますね。

阿波踊りの場合、踊りのグループは
○○連です。


[No.100] Re: アンクルトリス 投稿者:   投稿日:2010/12/07(Tue) 21:42
[関連記事

さんらく亭さん、こんばんは。

夜しか現れない私、やっぱ組長ですかね?

> わたしの古巣でも昭和31年までは職階制度というのがあって社員を
> 職員(ホワイトカラー)と工員(ブルーカラー)に別けて人事管理
> を行っていました
> 工員は新人から年功を積んでいくと 伍長→班長→組長と昇進しても
> そこで行き止まり。その上の主任は職員が就いていました

そんなことになっていたんですか。私がいた会社ではテープレコーダー
などの組立てをやっていたので、そのラインの指導をする人を組長と
したのでしょうね。

私は資材関係でしたが、同じ組長と名づけて、手当を支給されたのです。

>
> その後この制度が撤廃され職・工の区別(差別)がなくなりました。
>
> 戦後の労働運動の中での大きい出来事でした

いろいろあって、世の中変わってきたのですね。


[No.105] Re: アンクルトリス 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/07(Tue) 22:12
[関連記事

あやさん
100番でした。

この会議室は
どんどん書き込みがあるので
増えていくのが嬉しいです。

これからもどうぞよろしく。


[No.99] Re: アンクルトリス 投稿者:   投稿日:2010/12/07(Tue) 21:37
[関連記事

> 組長のあやさん  こんにちは

組長なんておかしいでしょ!

SONYのテープレコーダーなどを作っていた会社でした。
製造が主なことから、女性のちょっと上の人を組長なんてことで
手当を出していたのでしょう。
もちろん「組長」なんて呼ぶことはなかったです。

>    クレヨンしんちゃんの幼稚園の「ひまわり組」のようなもの?
>

うーん、クレヨンしんちゃんなんて見たことない、知りませんーン。

> 話は変わりますが
> 黒部の太陽の映画にも出てくる
> あのダムの建設に従事した某建設会社にかつていたことのある先生の話
> 京都の大学を卒業して、その某建設に就職したら
> 「準組員を命ずる」という辞令をもらったそうです。
> 半年後に
> 「組員を命ずる」という辞令で正式組員になったとか。

そうでしたか。面白いですね。
ダムと言えば、私が小学生の頃なりたかったものに、
学校の先生と、
ダムの建設工事場の監督でした。上下揃った制服に憧れたのです。
おかしいでしょ。


[No.104] Re: アンクルトリス 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/07(Tue) 22:10
[関連記事

> > 組長のあやさん  こんにちは
>
> 組長なんておかしいでしょ!
>
> SONYのテープレコーダーなどを作っていた会社でした。
> 製造が主なことから、女性のちょっと上の人を組長なんてことで
> 手当を出していたのでしょう。
> もちろん「組長」なんて呼ぶことはなかったです。

組長という言葉が当時はあったのですね。
いつの頃からかなくなってしまった。

あやさんの働いていた電子機器の製造工場は
いま地方にも存在していると思います。


[No.107] Re: アンクルトリス 投稿者:   投稿日:2010/12/07(Tue) 22:23
[関連記事

>
> 組長という言葉が当時はあったのですね。
> いつの頃からかなくなってしまった。

よくわかりません。

そのあとは我が会社では、女子の場合、「4級職」という階級になりましたね。
それには「4級職」試験を受けました。

>
> あやさんの働いていた電子機器の製造工場は
> いま地方にも存在していると思います。

系列はたくさんありますが、私が通っていたところはなくなりました。
私が退社してからずいぶんとあとのことでしたが。いいときに定年になったと、
今は思っています。


[No.110] 電子機器の製造 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/08(Wed) 06:53
[関連記事

当時の仕事としては
組み立てるのに
ハンダごてを使ったのでしょうか。

プラモデルのように部品をはめ込んだりして
組み立てたのでしょうか。


[No.134] Re: 電子機器の製造 投稿者:   投稿日:2010/12/08(Wed) 23:30
[関連記事

> 当時の仕事としては
> 組み立てるのに
> ハンダごてを使ったのでしょうか。
>
> プラモデルのように部品をはめ込んだりして
> 組み立てたのでしょうか。

半田ごてもあり、はめ込むことも少しはあったでしょう。
よくはわかりませんが、ラジオの針の見える部分の透明の
プラスチックの板ははめ込んでいたのではと思います。
私は製造部ではないので、隅々まではわかりませんが、
半田ごてが鉄の筒に注され、ビスやドライバーがずらっと、
ラインに並んでいました。
10人以上が流れ作業をしているさまはよかったですね。


[No.137] Re: 電子機器の製造 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/09(Thu) 06:19
[関連記事

> > 当時の仕事としては
> > 組み立てるのに
> > ハンダごてを使ったのでしょうか。

> 半田ごてもあり、はめ込むことも少しはあったでしょう。
> よくはわかりませんが、ラジオの針の見える部分の透明の
> プラスチックの板ははめ込んでいたのではと思います。

> 10人以上が流れ作業をしているさまはよかったですね。

かつては
蒲田付近ではよく見られた光景が
東南アジアや外国の工場に舞台を移してしまったようです。


[No.85] Re: アンクルトリス 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/06(Mon) 07:41
[関連記事

> 私の新入社員当時(昭和30)初任給が手取りで¥9910でトリスは1本¥300、角瓶が¥1250、オールドは¥1600でした。ハイボールは1杯¥50だったかな? ハイボールのグラスが大阪では8オンスなのに東京では6オンスと小ぶりなのは東西の文化差でショックでしたね

さんらく亭さん
給料と物価のデータは参考になります。
この比率のままなら
毎月10万円の収入がある人に対して、オールドが16000円ということになってしまいますね。
高級ウィスキーでしたね。(トリスは3000円)

ウィスキーも安くなりました。 日本酒はライバルが多くなったから不利になった?