あなたの戦後は?
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[No.90] 屋久島沖に眠る 投稿者:   投稿日:2010/12/06(Mon) 14:57
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屋久島沖に眠る
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♪♪さらば地球よ 旅立つ船は宇宙戦艦やまと♪♪
♪♪宇宙の彼方  イスカンダルへ♪♪
♪♪運命背負い  今飛び立つ♪♪
♪♪  ……以下略……  ♪♪

ご存知松本零士の「宇宙戦艦ヤマト」のテーマですが、このモチーフと
なった超弩級戦艦「大和」を記憶されている方も多いと思います。

全長;263メートル  最大幅;38,9メートル
排水トン数;6万6千トン  速力;27ノット
主砲;46センチ9門  冷暖房完備 舷側は41センチの
鋼板を張り巡らした浮かべる要塞とも言われた「大和」でしたが

昭和20年4月6日、僅か軽巡・矢矧以下、駆逐艦8隻のみの第二艦隊で
片道燃料しか積まず、特攻艦隊として沖縄へ向けて出航、撃沈されました。

そしてその艦隊の司令長官は、私の父「第57代神職山本実」の友人である
「伊藤整一中将」その人でした。

伊藤整一中将は1890年7月福岡県三池郡高田町(現みやま市)に生まれ
ましたがこの出生地というのは私の生家と川を隔てた対岸にあります。

伊藤中将は戦死とともに大将に昇進しましたが、その墓地は、出身地の
みやま市ではなく私の生家の近く「大牟田市」にあり、その顕彰碑建立
の祭典は、私の兄「58代宮司(一級神職)山本光興」の司祭によって
執り行われました。

ちなみに海軍大将は初代・西郷従道(西郷隆盛の弟)から数えて、77人
が輩出していますが、伊藤大将が77名メの最後の大将となった訳です(合掌)
(写真は私の生家の近くにある伊藤大将の墓と顕彰碑)

               瀬里恵


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