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[No.7742]
『ヨーロッパの民話をたずねて〜3』
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2016/10/11(Tue) 23:34
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[No.7741]
『ヨーロッパの民話をたずねて〜2』
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2016/10/11(Tue) 22:58
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(2)
つぎに、旅行へ行く前に読んだのが、先だって旅行したばかりのチロル、北イタリアのアルト=アーディジェ州に伝わる民話のひとつ。これも大抵の方はご存じの「魔法使いの弟子型」の民話なのです。
このテーマで有名なのは、ゲーテの詩に基づく、「魔法使いの弟子」で、フランスのポール・デュカスの交響詩となって大成功を納めました。
あらすじは、魔法使いの弟子が、師匠の留守中に、ほうきに魔法をかけ、掃除をさぼろうとしたのです。今でいえば家事専門ロボットに仕事を任せて、自分はその間マンガでも読んで過ごそうという魂胆。
ところが、肝心のほうきに掛ける呪文を忘れてしまい、パニクってデタラメにやったところ、さあタイヘン、たちまちそこら中が水浸しになり、どうにも手が付けられなくなる。
そこへ運悪く師匠が戻り、この惨状をみてオドロキ呆れる。師匠はすぐさまそこで正しい呪文を唱えてその場を納め、弟子は、その後さんざん油を絞られます。
今は便利な掃除機がいくらでもあるので、こうした悲惨な光景は見たくても見られないでしょう。掃除機が「掃除が終わりました」などと報告して呉れるので、掃除が終わるまで、茶の間のテレビでクライマックスシリーズを観るか、しばらくは、そこいら辺で転寝でもしていればいいのです。さて、
(つづく)
[No.7739]
『ヨーロッパの民話をたずねて』
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2016/10/09(Sun) 13:49
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タイトルがばかに大げさでビックリするかも知れませんが、ま、ちょっとした紋次郎流の感想文ですので、そのつもりで読んでいただければ幸いです。
(1)
あっしは昔から民話のようなものに多少関心があって、ときどきこうした関係のものを読んだりするのですが、海外へ行ったりすると、その地域の民話、伝説に興味が湧きます。ただ、旅行中はなにかと忙しく、のんびりと調べたりすることはできません。
きのう、書庫から出してきた本を読んでいて面白いことを発見しました。それは嘘をつくと、途端に鼻がぐうっと伸びるので有名なピノッキオですが、これはなにもイタリアのピノッキオだけの専売特許(^^♪ではなかったのですね。
あの話があんまり有名になった紋ですから、世界中のひとがみんな、そう思っているのです。ところが、鼻の伸びる話はドイツにもあったのです。イタリアの話は教訓的ですが、どちらかというと、ドイツの話の方が、あっしには面白かったのです。
リンゴを食べるとだれでも鼻が伸び、ナシを食べれば、それが元へ戻るのです。大して教養のありそうにない田舎紋の兵隊が、悪知恵の塊のような王女と、丁々発止と渡りあい、知恵比べで勝利を納めます。これが短いながらも、ドキドキワクワクの要素もチャンと備えているから、たいしたものです。
これを観ずるに、やはりこのあたり、つまりザンクト・ウルリッヒのことですが、ここにも、鼻の伸びる民話があったのかも知れない。
オーストリア通の津田さんの本に、オルティセイ(ザンクト・ウルリッヒ)では、むかし木彫りのピノッキオ人形を作っていたが、最近ではもう、止めたらしいというくだりがありました。同書の『あとがき』を読むと、本の内容は昭和41年ころの見聞らしいので、もうそれから50年も経ちます。
もともと「ピノッキオ」というのは、コッローディの創作であって、民話ではないからです。むしろ、本家はドイツ、オーストリアあたりなのかも知れませんね。きょうちょっとググっていたら、ドロミティーのお祭りの写真があり、その一つに、ピノッキオのように鼻の高い仮面を被っているのがありました。もしかしたら、こうした仮面から、同上の民話が生まれ、またコッローディの「ピノッキオ」が、誕生したのではないでしょうか。あっしは、最近、そんな風に思うのですが。
オーストリアと云えば、30年近く、オーストリアファンを、運んでくれた同航空が、去る9月4日のウィーン行き(OS52)便をもって、日本を撤退したそうです。あっしらもこのヒコーキには2,3度お世話になったので、思い出は尽きません。
(つづく)
[No.7738]
今夜はカレーライス
投稿者:あや
投稿日:2016/10/05(Wed) 20:27
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最近カレーライスを作っていない。カレーライスの素は自然食を使っていることで、
市販のものと多少味がちがう。
夫は「うまくないなー。もっとうまいものを作れ、辛い物がいい」など言うので、
作っていなかったのだ。
1日から昨日3日までは朝から夜まで、会議、町内の行事の資料作り、ボランティ
アなどで過ごしてしまった。
今日も会館へ行き、お茶部会の資料作りなどした。15時には終えて帰って来た。
帰ってくると、夫はいて、
「バスで途中まで行き、土手を中山へ歩こう」など言いだした。珍しいことなので
バス時間を調べたがなかった。駅までのバス乗り、川の土手へ出て歩くことにした。
西日を前にしての土手歩きは辛かったが、夫が歩くなど言うので、うれしく何も言
えなかった。かなり歩いたところで、体の調子が悪くなってきたのか、バスで帰る
と言いだした。
バスに乗って帰って来たが、2時間弱のことだったがよかった。
帰って来て夜食の仕度となった。時間もなく、カレーライスにしてみようと玉ねぎ、
と豚肉を炒め、人参、ピーマン、茄子を入れた。なぜか具が少なく感じられたので、
長ネギを半分加えた。長ネギなんていまだかって入れたことはない。それでも少な
い。いつもは箱に書かれた野菜の量を見てやるのだが見なかったのだ。
何か追加するものはないかと冷凍室を覗いた。そこに半分ほど使った、北海道産=
ミックスベジタブルの袋があった。これでも大丈夫だろうと、読むと、かぼちゃ、
じゃがいも、スイートコーンと書かれていた。初めて買ったものだが、サラダに入
れたりしたのだった。
それを鍋に入れながら、かき混ぜ様子を見た。これでいいかというところでおしま
いにした。
「飯はまだか」など言い、珍しくテーブルに着いた夫、歩いて来たのでお腹が空い
たのかと思った。
「ごはんがまだ炊けないわ。もう少し待って」と言いながらテーブルの仕度をした。
よその家では、カレーの時のおかずはどんなものを出すのだろうと思いながら、福
神漬け、とまとの薄切り、小松菜の浸し、スープを並べた。
夫は、美味いも、不味いも言わず、もくもくと食べてくれた。いつもの具の入れ方
とまったくちがう感じでやったが成功だったと思った。おいしかった。
じゃがいもを入れない方が好きらしい夫、じゃがいもを入れないことでなおよかっ
たのかも知れないと思った。
今日は5日、今18時になろうとしている。今夜も昨日のカレーの残りを食べるこ
とにしようと何も準備をしていなかったが、4階の方から、差し入れがあった。
「初物の里芋を煮たわ、まだ小さいけど」と持って来て下さった。料理が上手で、
夫は絶賛している方なのだ。
一つ食べてみたがなんとも言えない柔らかさと味であった。私はこのようには煮る
ことができない。
カレーライスだが、いい添え物になってくれるとうれしかった。
2016−10−05
[No.7737]
君の名は
投稿者:KANCHAN
投稿日:2016/10/04(Tue) 21:17
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[No.7736]
Re: アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪ねて
投稿者:ザックス
投稿日:2016/10/04(Tue) 08:57
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[No.7735]
Re: アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪ねて
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2016/10/03(Mon) 16:56
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ザックスさん、みなさん、こんばんは。
> 私がミュンヒェンへ行った時はG.ヒュッシュさんがお元気で車でそこへも案内して貰いました。受付の子にプロフェッサーと呼ばれていました。
> 夜はレオポルド・シュトラッセのお宅でマリー・ルイーズ夫人のお料理をご馳走になりました。
> 晩年はレーゲンスブルクへ越され、広い丘陵の畑の中のご自宅へ伺ったのを覚えています。ピアノの上にはベートーヴェンのLPが飾ってありました。
> 帰りは夫人の妹さんが車で駅まで送ってくれました。
> 随分前のことですが、良く記憶に残っています。
ザックスさんはよい思い出をたくさん持って、ほんとうに幸せですね。いずれも、なかなか得難い経験だと思いますよ。
[No.7734]
Re: 赤城山
投稿者:ザックス
投稿日:2016/10/02(Sun) 16:38
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素晴らしい写真ですね。構図と言い、色彩と言い・・・。
> 掲題の画像は渡良瀬川の橋の上から、赤城山を望んだものである。私のコンピューターのスクリーンセーバーに使っているが、冬の景色で、赤城山は雪をかぶり、渡良瀬川の水量は多くない。私は毎日コンピューターを開けるたびにこの画像に出会うのである。
スクリーンセーバー、むべなるかな です。これならフォトサロンでも、と思ったら又文書も長くていいんですね。仕方がありませんね。
私もあちこちゴルフは行ってスコアカードが500枚は堪ったのですが、残念ながら桐生は行った事がありませんでした。東松山の会員だったので専らそこへ行きました。
Aクラスの月例で優勝した時の船越保武氏の鳩の浮彫が自慢の賞品です。
[No.7733]
Re: アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪ねて
投稿者:ザックス
投稿日:2016/10/02(Sun) 16:15
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私がミュンヒェンへ行った時はG.ヒュッシュさんがお元気で車でそこへも案内して貰いました。受付の子にプロフェッサーと呼ばれていました。
夜はレオポルド・シュトラッセのお宅でマリー・ルイーズ夫人のお料理をご馳走になりました。
晩年はレーゲンスブルクへ越され、広い丘陵の畑の中のご自宅へ伺ったのを覚えています。ピアノの上にはベートーヴェンのLPが飾ってありました。
帰りは夫人の妹さんが車で駅まで送ってくれました。
随分前のことですが、良く記憶に残っています。
[No.7732]
『海上に散骨する前に』
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2016/09/26(Mon) 12:09
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さいきん、散骨とか云うよからぬ風習を広めるものがあるようですが、決行する前に一歩立ち止まって考えてみてはどうでしょうか。
というのは、オークションに出されたアメリカの作家、トルーマン・カポーティの遺灰になんと、45000ドルの値が付いたということです。★
そこへいくと、日本人は無欲の塊のような存在です。江戸後期の狂歌師、太田南畝こと蜀山人は、死に臨んで,『今までは人のことだと思ふたに俺が死ぬとはこいつはたまらん』という辞世を残した。これでは『溜まらん』はずだ。
確かに、子孫に美田を残す必要はないと説くものも、あることはあるが…。
もっとも、当時は現今のようにクリスティーズやサザビーズのようなオークションの場が出来ていなかったので、まあ無理もないが…。日本人は金銭に淡泊と云うが、また、
十返舎一九の様に、この世をばどりゃお暇(いとま)にせん(線)香の煙とともに 灰左様なら、などと洒落ているばやいではないと思うのだが…。
散骨は海上の場合はまず紋題はないが、陸上の場合などは条例などで規制されていることがあるので要注意。
★ 今までに2回も盗まれたという人気のグッズだそうです、ハイ。(^^♪うん、ハイでなく、やっぱり『灰』かな。
写真は、モンローとのツーショット。
↓
http://www.corriere.it/…/truman-capote-all-asta-le-ceneri-f…
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