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[No.7719] アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪ねて 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/09/03(Sat) 15:44
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アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪ねて
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 以下、チョット旧聞に属するかも知れないが、ここへ収めることにした。

 絵が好きで、カイガイへ行くチャンスがあれば、誰だって訪問先のひとつに美術館を加えようと思うのは、ごく当たり前のことではないだろうか。いつもわたしは、そんなことを考えてしまうが、今年はあいにくと、行き先がヨーロッパ・アルプスになってしまった。山中にはまず、美術館はすくないので、いささか諦めムードになっていたが、待てよ、ドイツのミュンヘンが起点だったな、ならアルテ・ピナコテークはどうだ。ここに寄ってみようと思いたった。

 ミュンヘンへ泊まったのは、旅行も終わりのころで、投宿先のホテルからは、トラムで行くことにした。何しろミュンヘンは初めてなので、西も東も分からない。これがすぐ見つからないと、後のスケジュールにも影響すると思い、すこし早めにホテルを出た。

 ところが、意外とすいすい行ってしまったので、絵画館に着いた時は、まだ開館のすこし前だった。日本だと、早すぎて館内には入れなくても、屋外に待たされるようなことはないように思うが、さすがドイツだ。開館時間が来るまでは、表のドアはゼッタイに開けない。付近に手ごろなベンチなども見当たらないので、仕方なく玄関前の石段に腰を下ろして、ドアの開くのを待つ。

 以前なにかで読んだのだが、この絵画館は、館内の改装中で、それが何年もかかっているが、未だに工事は終わっていないという。なるほど、添付写真に見る通りである。

 やがて時間が来て、やっと入場できた。館内は大々的に修復中で、館蔵品の三分の一くらいしか見られないと云う割には、旅の疲れのせいか、かなり見ごたえがあったような気がする。

 各部屋には一人か二人、監視員がいた、日本では監視員には女のひとが多く、たいてい部屋の隅の椅子に掛けているが、ここでは男女の両方がいた。日本とちがって、椅子などはなく、みな立ったままだ。ただ図体が大きいので、かなり遠くまで見通しは利く。

 展示してある絵は、一般にみな大きいので、それを展示する部屋も、いきおい相当に大きくなる。また小さい絵は、脇の廊下のようなところに展示してあった。

 たしかネットで読んだと思うが、中の絵は工事の完了するまでは、撮り放題とあったような気がしたので、何の気兼ねもなくバンバン撮っていると、さっそく少し離れたところにいた連れが、目を付けられた。フラッシュの発火に、その部屋の監視員が目ざとく気づいたらしい。なにか注意を受けていたらしいが、ハッキリ返事をしなかったのか、次の部屋へ移動しても、まだ付いてきた。

  ここでは、あとで分かったのだが、フラッシュを焚かなければ撮影はオッケーらしいが、よく他の美術館で見かける、あのカメラのXマークのようなものはひとつも見かけなかった。

 一緒に入館した私も、これでは落ち着いて鑑賞できないので、いい加減見たところで退館することに決め、階下へ降りた。そこにはミュージアムショップもあったが、絵葉書のほかにはあまり珍しいものも見当たらなかったような気がする。

 私の好きな画家は、ここではやはりルーベンスで、「レウキッポスの娘たちの略奪」など、色彩も華麗で、構成もドラマチックな、巨匠の名に恥じない大作を心行くまで鑑賞した。また、日ごろ尊敬する『北のフィレンツェ』の大画家、デューラーの「4人の使徒」も見ることが出来、じつにハッピーだった。

今まで色々な美術館へ行ったが、ここで、じつにフシギナ光景をみた。それはある大きな絵の前に、大の大人ばかりが6,7人並んで、記念撮影をしていたのである。館の前で写しているのは、見た覚えもあるが、絵の前とは。世の中には色々な人がいるもんだとつくづく感心した。 (おわり)


[No.7720] Re: アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪ねて 投稿者:男爵   投稿日:2016/09/09(Fri) 09:30
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唐辛子紋次郎さん、みなさん  こんにちは。

私も1982年頃に
アルテ・ピナコテークを見学しました。

そのあと
町を歩いていると、大事なカメラのないことに気がつきました。
もしかしたらと引き返して、アルテ・ピナコテークの売店によって聞いたら
預かっていました。

私が買い物して、そのままカメラを忘れてきたらしい。
こういうときは、さっとドイツ人の店員はしまってしまうようです。


その頃
化石の好きな私は
アルテ・ピナコテークの近くで、貴重な化石の展示を見ました。

  以下は、某雑誌に書いた記事の一部です。

  −−−−−−
ミュンヒェンにある有名な美術館アルテピナコ
ティークへ駅から歩いて行こうとして,地図を見
ると,市立レンバッハ美術館の近くに州立の古生
物学収集館(Staatssammlung fuer Pa1aeontologie
und historische Geologie)があるので,回り道を
して,そこの標本を見ていくことにしました.ア
ンモナイト,動物の骨格化石,魚の化石を見て2
階に上がると,2階の教授室の前の廊下にヴュル
ツブルクの偽化石が展示されているのに気
がつき,内心感激しました.まだ化石が学問的に
よく研究されていなかったころの話ですから,こ
のような石膏で作った化石でも,大学者がだまさ
れたのでしょう.子どもの指くらい太いクモの糸
の巣についたクモの化石を見て,現代のわれわれ
なら偽物とわかるけれど,江戸時代の当時(1726
年に出版した本の中に,このクモの化石や昆虫の
化石や星の化石が載っていた)ではしかたのない
ことであったのであろうと思いました.むしろ,
ドイツの学問の長い歴史に思いしらされたもので
す.
    −−−−−−

ヴュルツブルクの偽化石

ヴュルツブルク大学ベリンガー教授をからかってやろうと、同僚たちが
石膏で化石をつくり埋めてベリンガー教授に発見させた。

ベリンガー教授は驚喜して、発見した偽の化石をまとめて本にした。
そのうちに、ベリンガー教授は自分の名前がヘブライ文字で刻まれた石を見て贋作に気づいたとされる。


[No.7721] Re: アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪ねて 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/09/09(Fri) 22:48
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  男爵さん、みなさん、こんばんは。

> 私も1982年頃に
> アルテ・ピナコテークを見学しました。

その頃ならまだ、おそらく改装工事は始まっていないでしょうから、所蔵作品はすべて観られたでしょうね。いまは、長い工事中なので、来年行ったとしても、全部は観られないでしょうね。

> そのあと
> 町を歩いていると、大事なカメラのないことに気がつきました。
> もしかしたらと引き返して、アルテ・ピナコテークの売店によって聞いたら
> 預かっていました。 

> 私が買い物して、そのままカメラを忘れてきたらしい。
> こういうときは、さっとドイツ人の店員はしまってしまうようです。

  それは良かったですね。いろいろ撮ってあったでしょうから。

> ミュンヒェンにある有名な美術館アルテピナコ
> ティークへ駅から歩いて行こうとして,地図を見
> ると,市立レンバッハ美術館の近くに州立の古生
> 物学収集館(Staatssammlung fuer Pa1aeontologie
> und historische Geologie)があるので,回り道を
> して,そこの標本を見ていくことにしました.ア
> ンモナイト,動物の骨格化石,魚の化石を見て2
> 階に上がると,2階の教授室の前の廊下にヴュル
> ツブルクの偽化石が展示されているのに気
> がつき,内心感激しました.まだ化石が学問的に
> よく研究されていなかったころの話ですから,こ
> のような石膏で作った化石でも,大学者がだまさ
> れたのでしょう.子どもの指くらい太いクモの糸
> の巣についたクモの化石を見て,現代のわれわれ
> なら偽物とわかるけれど,江戸時代の当時(1726
> 年に出版した本の中に,このクモの化石や昆虫の
> 化石や星の化石が載っていた)ではしかたのない
> ことであったのであろうと思いました.むしろ,
> ドイツの学問の長い歴史に思いしらされたもので
> す.

 あっしのガイドブックは安物なので、載っている地図は、ニュンフェンブルクのあたりまでで、ケーニッヒ広場までは出ていません。たぶん、そのレンバッハ美術館や古生物学収集館と云うのはこの広場の近くだと思いますが…。
 


[No.7722] Re: アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪ねて 投稿者:男爵   投稿日:2016/09/10(Sat) 13:55
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Re: アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪ねて
画像サイズ: 1127×701 (74kB)
唐辛子紋次郎さん、みなさん、こんにちは。

> > 私も1982年頃に
> > アルテ・ピナコテークを見学しました。

> その頃ならまだ、おそらく改装工事は始まっていないでしょうから、所蔵作品はすべて観られたでしょうね。いまは、長い工事中なので、来年行ったとしても、全部は観られないでしょうね。

疲れていたので階段を登ったりして、全部見たというより
全部歩いたという方が実感でした。

事前に知っていた
アルブレヒト・アルトドルファー「アレクサンドロス大王の戦い」だけは
印象に残っています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC

> > ミュンヒェンにある有名な美術館アルテピナコ
> > ティークへ駅から歩いて行こうとして,地図を見
> > ると,市立レンバッハ美術館の近くに州立の古生
> > 物学収集館(Staatssammlung fuer Pa1aeontologie
> > und historische Geologie)があるので,回り道を
> > して,そこの標本を見ていくことにしました.


>  あっしのガイドブックは安物なので、載っている地図は、ニュンフェンブルクのあたりまでで、ケーニッヒ広場までは出ていません。たぶん、そのレンバッハ美術館や古生物学収集館と云うのはこの広場の近くだと思いますが…。

そうです。
ケーニッヒ広場の手前です。

ブリーナー通り、アウグステン通り、ルイーゼン通り、ガーベルスベルガー通りに
囲まれた中に、レンバッハ美術館や古生物学収集館があります。

http://4travel.jp/overseas/area/europe/germany/munchen/kankospot/10332784/map/  


当時写してきた写真です。 あまりよく写っていませんが。


[No.7724] Re: アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪ねて 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/09/12(Mon) 11:47
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Re: アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪ねて
画像サイズ: 520×390 (80kB)
何年も何年も改装工事の続くアルテ・ピナコテーク。


[No.7726] Re: アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪ねて 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/09/17(Sat) 12:26
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Re: アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪ねて
画像サイズ: 382×510 (57kB)
これは、ピナコテークの停留所です。ただ、ピナコテークとなっているのは、アルテヘ
も、ノイエにも、モデルネにも、ここからがご便利ですと云うところか。


[No.7729] Re: アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪ねて 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/09/20(Tue) 22:36
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Re: アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪ねて
画像サイズ: 520×389 (81kB)
館へ着くのが早すぎたので、周囲を見回すとこんな彫刻が目に入った。最初アルテの方に所属するものと思ってググったら、前のノイエの方に所属していることが分かった。道理でいくら検索しても出てこないわけだ。

  
 これはノイエ・ピナコテークの所蔵するブロンズ像で、作者はイギリスの著名な彫刻家ヘンリー・ムアです。

 親父は一介の炭鉱夫だったが、息子は大成功を納め大金持ちになった。作品については日本では、大阪の御堂筋や熱海のMOA美術館などでも見ることが出来ます。

 明治31年の生まれだが、チェルノブイリ事故のあった昭和61年まで生きていたようです。

 この作品は、日本版のウィッキーには出ていないが、ドイツ語版には写真が載っていました。ムアは最初期には、マヤの文化に魅了され、そこから出発したらしい。


  


[No.7733] Re: アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪ねて 投稿者:ザックス  投稿日:2016/10/02(Sun) 16:15
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私がミュンヒェンへ行った時はG.ヒュッシュさんがお元気で車でそこへも案内して貰いました。受付の子にプロフェッサーと呼ばれていました。

夜はレオポルド・シュトラッセのお宅でマリー・ルイーズ夫人のお料理をご馳走になりました。

晩年はレーゲンスブルクへ越され、広い丘陵の畑の中のご自宅へ伺ったのを覚えています。ピアノの上にはベートーヴェンのLPが飾ってありました。

帰りは夫人の妹さんが車で駅まで送ってくれました。

随分前のことですが、良く記憶に残っています。


[No.7735] Re: アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪ねて 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/10/03(Mon) 16:56
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 ザックスさん、みなさん、こんばんは。

> 私がミュンヒェンへ行った時はG.ヒュッシュさんがお元気で車でそこへも案内して貰いました。受付の子にプロフェッサーと呼ばれていました。

> 夜はレオポルド・シュトラッセのお宅でマリー・ルイーズ夫人のお料理をご馳走になりました。

> 晩年はレーゲンスブルクへ越され、広い丘陵の畑の中のご自宅へ伺ったのを覚えています。ピアノの上にはベートーヴェンのLPが飾ってありました。

> 帰りは夫人の妹さんが車で駅まで送ってくれました。

> 随分前のことですが、良く記憶に残っています。

ザックスさんはよい思い出をたくさん持って、ほんとうに幸せですね。いずれも、なかなか得難い経験だと思いますよ。


[No.7736] Re: アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪ねて 投稿者:ザックス  投稿日:2016/10/04(Tue) 08:57
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Re: アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪ねて
画像サイズ: 320×230 (73kB)
紋次郎さん

> ザックスさんはよい思い出をたくさん持って、ほんとうに幸せですね。いずれも、なかなか得難い経験だと思いますよ。

RES.有難うございました。

私は「冬の旅」の中の辻音楽師や烏が好きでヒュッシュさんに手紙を出したのがきっかけで文通が始まりました。

それが後々のおつきあいの原点になりました。行動は起こして見るもんですね。

写真はヒュッシュさんから貰ったサイン入りのLPの表紙です。