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[No.7528]
古きをたずねて新しきを知る〜まだ
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2016/03/05(Sat) 10:08
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昔から人に言われるままにハイ、ハイ、ハイとやっていれば、どうなるか。やはりこれが紋題になったことが、まるでないわけではなかったのだ。
現在は、テレビで毎日、これでもか、これでもかとしつこくやっていても、一向に大した成果が上がっていないことは、みなさんも、ご存じのとおりである。つまり、
「500万ですよ。いいですか」「ハイ、ハイ、ハイ」「代わりのものが取りに行きますよ。いいですね」「ハイ、ハイ、ハイ。そないしつこう、云わんでもええがな。よう分かってま。」「あした、テレビの、わたしは騙されない、で、取り上げられるかも知れませんよ」「ハイ、ハイ、ハイ。」「そのうち、また二回目も、お願いすることになるかもしれませんよ。」「そういえば、わてはまだ、テレビちゅう紋に出た、いうことが一度もないさかいな、それもええかもしれへんな、あっ、それから、2回目?それかて、かめへんよ。ああ、なんぼでもな、気が向いたらまた、電話してえな、次の電話、待っとるさかいな。ほな、さいなら。」
これが、振込詐欺のない頃にも、お人よしというのはいたらしく、「椋鳥」によると、非常にシンプルだし、今と違ってかなり手荒いやり口だが、その頃のは、こんな具合に展開したらしい。つまり、
アメリカのバビットと云う金持ちが、友人4人と車に乗り、コロラドの辺りを、のんびりドライブしていた。後ろでなにか声がするので、振り向くと、馬に乗った妙齢の婦人二人が追いつき、ちょっと用事があるので車を止めてと云う。何事ならんと、鼻の下を伸ばして、その辺に車を停めたところ、馬から降りた婦人は、矢庭に懐中からピストルを取り出して強盗に早変わり。有り金一切を奪うと、また馬に跨り、何事もなかったかのように、澄ました顔で馬に鞭をくれ、悠々とその場を立ち去ったという。このお手並みの鮮やかさには、ただただ脱帽あるのみである。
大抵のばやい「ハイ、ハイ、ハイ」のあとには、は碌なことがないのである。お互いに気を付けよう。 そういえば、子供の頃、『人を見れば泥棒と思え』ということばも、聞いたような気がする。
(つづく)
[No.7527]
古きを尋ねて新しきを知る〜又々
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2016/03/03(Thu) 20:18
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最初に運不運のはなし。あっしも生来、幸運の女神の前髪を掴むのがじつに下手くそで、年末スーパーの抽選会なぞで、なにかが、当たったためしがない。それが、運のいい人になると、フシギなことに、何回でも立て続けに当たるのだ。競馬などでも、賞金の当たったのは長い人生でタダの一回、それも何千円とかいうのではなく、電車賃にも足らない、いわゆる雀の涙と云うヤツ。★
「椋鳥」でも、運のいい人、運に見放された人の両方が登場する。まず運の悪い方。
これはワーグナーとも親交のあった、マンデスというひとは、誤って列車から転落、頭蓋骨折、その他で即死した。が、
運のいい方の代表選手、ルードは、寝ぼけて、同じように時速100キロで疾走中の列車から転落したのにもかかわらず、落ちたまま眠り続けていた。ところが、運よく反対方向から来た別の列車がこれを発見、ほとんど無傷で救助されたよし。
つぎは、ノストラダムスのお蔭で、日本でも一時、大ブームになった予言の話。この開祖、鼻祖はバイブルに出て来る予言者だろう。これは名前の記録されていない人まで入れれば、大変な数に上ると思う。
つぎに、予言の内容にうつる。アポカリプス。新聞を見ていると、だれそれが予言しているので、気の毒だが、地球はこの先、いついつに破滅する。心の準備をして置くように。こんなセリフを一体何度聞かされたことか。☆また、
椋鳥自体は、予言は職掌外と見えて、自らやることはないようだが、鴎外の「椋鳥」にはちゃんと出ている。
アポカリプス、これもはキリスト教社会では、すでに普通名詞化され、大惨事が起こったりすると、新聞の見出しなどにも、ちょくちょく登場する。
ここでグルーさんに敬意を表して、ふたたびペルシャ語へ戻る。といったって、トーシロの寝言に過ぎないけれど。(-_-;)
ペルシャ語はフランス語に似ているというはなしがあって、ほほうと思って読み進むと、一時フランス語の方が英語より幅を利かせていた時代の話で、ロシアでも、チョットいい家になると、競ってフランス語の家庭教師を雇い、子ども達に習わせたようである。これは、あっしも、大昔読んだロシアの小説で検証済みである。
ところで、チェスなどで王手の時、チェックメイトという。このことばも、王は敗北したと云う意味のペルシャ語、シャー・マットが語源らしい。これは
現在でも、ドイツ語、ロシア語、北欧語で、ほとんどそのまま使われているようだ。
(つづく)
★あっしは生憎、幸運には縁が薄いが、クルーズ船では「フォルトゥーナ号」に乗船することが出来た。ということは、やはり、ちょっとした幸運に巡り合ったというべきか。(^O^)
☆鴎外のでは、その日が1909年9月15日の午前10時20分だそうで、もし実現すれば、わたしの「椋鳥」もそこで息を引き取るわけだし、掲載誌の「スバル」もついに廃刊ということになると、記している。
[No.7526]
古きをたずねて新しきを知る〜又
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2016/03/02(Wed) 20:47
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読んであまり気持ちのいいはなしではないが、他の会議室に、さいきんモスクワの街頭でおこった斬首事件を紹介した。あっしは、こういうものはISの専売特許と思っていたが、意外とそうではなかったらしい。
その証拠に、鴎外の「椋鳥」にも顔を出すのだ。それが、あのゲーテであったのには、ショウジキ驚かされた。
あっしはゲーテは尊敬しているし、好感を持っている。また、わが国にもゲーテファンは山ほどいるので、そういう熱烈ファンから待ち伏せや焼き討ちに遭うかも知れない。恐ろしいので、ほんとうは書きたくないのだが、これはもともと、ゲーテを翻訳している鴎外の筆なので、そこのところは、どうかご勘弁を願う。
ずいぶん悪趣味だが、ドイツで、18世紀末、ギロチンを模した玩具がはやったことがあるそうだ。★そこでゲーテは、4歳の息子アウグスト☆に買ってやろうと思い、フランクフルトの母親に手紙で購入を依頼した。この件についての母親の返信は現在、他の多くの手紙と一緒に、残っているそうだが、そこには母親の拒絶の言葉が記されていた。要旨は、お前の頼みだからなんでも叶えてやりたいが、人殺しの道具だけは、勘弁してつかわさいというのだった。
ゲーテのためを思ったのか、母の言葉はかなり強い調子を帯びていたそうだ。もし、わらわがその筋の役人だったら、そんなおもちゃを製造した人間は牢屋に入れ、作られたおもちゃは、まとめて火に投げ込み、灰にするつもりだ、と。
☆ 当時、ゲーテは40を少し超えたくらいだったろう。妻のクリスティアーネとの間には、子供が5人生まれたが、そのうち、順調に育ったのはこの、アウグストだけだった。作家は、この子を鍾愛したかもしれない。
鍾愛といえば、ゲーテは子供に恵まれなかったせいか、子に準ずるものでもいいからひとり欲しかったのかも知れない。例の池内さんの「ゲーテの愛でし子」によると、ゲーテは、ザクセという名の、チューリンゲンの寒村に生まれた風来坊を溺愛し、借金の肩代わりだけでなく、男の就職先まで世話してやり、まるで実の子のように可愛がったが、父の心、子知らずではないが、また不肖の子といっては語弊があるかもしれないが、ゲーテの熱い思いはついに届かず、ザクセは旅の途次、転倒した馬車の下敷きとなり、同乗した実子もろとも、幽冥界を異にしたという。
ゲーテを訃報を聞き、日記に、放浪児にふさわしい死だったと記している。
★ 鴎外の記事を書いた1909年にも、パリで復活大流行をしたらしい。さすが、フランスは、ギロチン発明の開祖だけのことはある。もっとも、ウィッキーによると、ギロチン発明の前にドイツでは、断頭台Richtbolckが存在していた、と。(つづく)
[No.7524]
古きをたずねて新しきを知る〜続続々
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2016/03/01(Tue) 11:02
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新古今の由良の戸をではないが、どうやら楫を流してしまったらしく、船は行きつ戻りつ。というわけで、また
波斯へ戻る。例の「椋鳥」によると、従来ペルシャの王はシャーを名乗っていたが、1909年アフマド・ミールザーになってから、スルタンと称するようになった、と。
だいたい、この「通信」には欧州とくに南ドイツの記事の多い中、ペルシャのニュースは珍しく貴重である。こういうものを、ただ漫然と読んでいるだけで、ほんとうにビックリさせられるような記事が、ちょいちょい出て来る。たとえば、日本では、機運はあったが、実際に女性参政権が認められたのは戦後のことであった。
ところが、鴎外の筆によると、当時ドイツのトラフェミュンデという町では、婦人に選挙権は当たり前で、それも、かなり前から行われていたという。
ここで振り返ってみると、「椋鳥」も欧州列強の内閣改造など硬い話の間に、別れ話の末に、女が拳銃を発砲して、相手を死なせたとかいうような、巷の痴情事件などを、サンドイッチの具のように、上手に挟み込んでいる。
サンドイッチと云えば、今では誰でも知っているが、命名の由来なども、モデルとなったサンドイッチ公死去の際に出た話なので、当時としては新しく、取れたて、摘みたてのニュースと云える。 (つづく)
[No.7523]
古きをたずねて新しきを知る〜続々
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2016/02/29(Mon) 22:10
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加齢とともに、記憶力の衰えというものは如何ともなしがたい。書いたあとヒヤッとすることが多い。たとえば、前述の詩人,マリネッティだが、あっしは詩などより絵や彫刻の方が好きな紋だから、未来派などいうあまり聞きなれない詩人などより、彫刻家の方がさきに頭に浮かぶ。彫刻家の方はジャコメッティであり、全くの別人だが、よろず大雑把なあっしにとっては、ただ似てさえいればジャコメッティであろうと、マリネッティであろうと、フランチェスカッティであろうと、どうでもいいのだ。(^^♪ところで、
同書は現代語訳ではないので、変な単語が頻出する。読みにくいといえば、これほど読みにくいものはない。その例をいくつか挙げる。支那=中国などはすぐ分かるが、覇王樹をご存じか。通常はサボテンとカタカナだが、漢字で書けば仙人掌がふつうだ。一番わずらわしいのは人名や地名で、素直にナポレオンと書けばいいものを、拿破崙またぺテルブルク、フィラデルフィアをわざわざ(^^♪彼得堡、費府などと書くので始末が悪い。生来の遅読の上、さらに読書のスピードが落ちる。
ところで、遅読というのは、辞書に載っていないのですね。びっくりぽんです。てことは、一億総速読ってことですか。考えられない。維也納も知らない人の方が多かろう。たしかにルビはある。しかし、それが余りにも小さいので、拡大鏡のご厄介にならなければどうしようもない。
近くGRUEさんの「イラン旅行記」が文集の部屋に登場するそうだが、イランは「椋鳥」1909年の項にも、出て来る。いつだったか、アメリカの某大統領が、メキシコの国語は、メキシコ語でいいのかと問うてし失笑を買ったことがあった。イランの國語はイラン語ではない。ペルシャ語なんである。ペルシャはいまなお、健在である。で、ここまでは枕だが、波斯は、鴎外の「椋鳥」にも顔を出す。そのほか、
きょう読んでいて、面白いと思ったことを紹介する。売り上げの多い、また従業員なども多い新聞を、大新聞などという。これは、別に新聞紙の大きさではない。ところが、鴎外は「椋鳥」に、新聞紙の大きい、大新聞のことを載せていた。
もちろん、大きいことはいいことだ、を国是(^^♪とする、アメリカの新聞で「一枚をひろげれば玉突き台いっぱいになる」という巨大な紙面。縦2.5メートル、横1.8メートル。
どうやって、ポストへ入れるのか。(^^♪かなりの技術がいるように思う。それに、大きさばかりでなく、ページ数も負けていない。72ページというのも立派なら、値段を1部、ただの「一円」としたのも見上げたもの。ここで、また『大新聞』に戻る。
「広辞苑」にも載っているが、大新聞はダイシンブンでなく、オオシンブンと読む。なんでも草創期、新聞は硬い記事の大新聞と、 軟らかい記事の小新聞に2大別されていた、と。それが次第に、双方の境界が曖昧になって一本化した。その時点で、オオシンブン、コシンブンの区別は消滅したのだ、と。なお、折衷体は中新聞と呼ばれ、これが現在の新聞のベースになったようだ。ま、その説明で行くと、キオスクなど売られている夕刊新聞などは、『小新聞』のたぐいか。
(つづく)
[No.7522]
古きをたずねて新しきを知る〜続
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2016/02/28(Sun) 12:55
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表題はご存じ團伊玖磨氏の「パイプのけむり」から借用した。ご本尊のように、続から始まってさよならまでいく、ということはマッタクありえないが、その意気でやりたいと思う。つまり、その歩みは、蝸牛のごとく。(^^♪さて、
あっしらの母親は「鎌倉のオバーチャン」としてメロウの皆様にも、親しまれ、明治、大正、昭和、平成と4代を生き抜いた。その母親でさえ、生まれは明治。鴎外に至っては、明治より手前の慶応、さらに下って文久と云う見慣れない、聞きなれない時代に生を受けた。そういうひとと付き合うのだから、疲れるのは当たり前かもしれない。しかし、
やっぱり疲れるので、これからは、ぼちぼち行くことにする。信長の時代とちがって、いまは人生百年の時代、なにも慌てることはない。(^O^)
あっしは、#7516で、「余はげんざい、最新のニュースを欲している。うんぬん。」と書いたが、もしかして、余はというのは、殿さまあたりでなくっちゃ使はないと思っている向きが、あるかもしれないので、ひとこと。
鴎外の著書、たとえば、有名な『舞姫』を開いても、このことばは、すぐ見つかる。主人公の、うら若き太田豊太郎が、はじめの方ですでに「余は幼き比より厳しき庭の訓を受けし甲斐に、」などと綴っている。
人の死因と云うのも気になる。1909年当時、医学がまだ遅れていたせいか、中耳炎(出版社主)や、盲腸炎(日本人芸妓)で死んでいる。ついで、
鴎外は60歳で死んだが、高齢者をどうみていたか。彼とて長生きを嫌ったわけではないだろうが、やはり、いつまでも、のんべんだらりんと齢を重ねようとは思っていなかった節がある。
『病身になって世をはかなんで自殺した』セルビアの爺さんが、百十五歳だったと聞いて「少し滑稽に感ずる」と書いている。ま、そのあとに「無邪気である。」とも書き加えてはいるが…。
きょう、テレビでAIの特集番組をやっていた。途中からでよく分からなかったが、なんでも学習塾で子供の学習にこれを適用したら、成績が飛躍的に向上したそうだ。こうなると、学校だの教師なぞは将来、無用の長物となるか。あっしは、若い頃、田舎の英語教師にでもなって、のんびり暮らすことを夢見ていたが、今の時代に生まれていたら、知能に勝るAIに、さっさと席を奪われて、泡を吹くことになろう。
自動車でも、自動運転車が現実のものになりつつある。日本のトヨタもアメリカで、googleの自動運転車に改造した車が、実験走行をしたという。まだ、実際の走行には問題点も多いらしいが、徐々に解決されていくであろう。ところで、
自動車は、英語のautomobileを和訳したものと思うが、オート自動、モビル動く、は以前から可笑しいと思っていた。人が色々な装置を動かして、初めて動くので、これは自動ではない。人力車が正しい。
なことは脇へ置いて、「椋鳥」で自動車の記事を見る。やはり1909年4月5日の記事だが、車が歩行者にけがをさせた事件で、ドイツのある裁判所が、車の運転者が歩行者を避けるべきだという判決を下した。これは珍しいことだったのか、鴎外は「我々膝栗毛連の為に気を吐いたと云っても好い。」と書いているところをみると、そうでない方の判決の方が多かったのか。このあと、6月5日の項を見ると、従来は上述のような事件があると、運転手のみが罰せられたが、法律改正で車の所有者も罰せられるようななった、と。やはり、この頃のドイツはさすが法律でも、世界一だったか。ただ、鴎外は運転者を「馭者」としているので、読者は一時、「ギョっ」とするかも。(^^♪
路上への視線をもう少しつづけると、いわゆる『ひったくり』である。イタリアの大都市ではよく、日本人がひったくりにあった。義姉も初めてのローマで、さっそくひったくりにあったので、とたんにイタリア嫌い、カイガイ嫌いになった。あちらではバッグはボルサ、ボルセッタなぞいう。ひったくりは、それをひったくるせいか、ボルセッジャトーレなどというらしい。
いちばん狙われるこのバッグだが、当時まだ日本ではバッグなど普及しておらず、「椋鳥」を書いた鴎外記者のでは、バッグが「信玄袋」に化けている。つまり「巴里のRue de Franqueville〔フランクヴィル通り〕を女が信玄袋をぶら下げて歩いている。すりがそれに手を掛ける。」といった調子だ。ところで、
鴎外のまちがいをまた、ひとつ発見。博識の南方熊楠なども引用する中国の古書「酉陽雑俎」を「酉陽雑誌」と。 (つづく)
[No.7521]
アラバマ物語
投稿者:KANCHAN
投稿日:2016/02/27(Sat) 13:21
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[No.7520]
モールス式電信
投稿者:GRUE
投稿日:2016/02/27(Sat) 10:29
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もう一つモールス信号を使った通信を調べてみました。
これには有線式と無線式があり、もちろん有線式が先に開発された。
有線式は1836年、米国でモールスにより開発された。急速に実用化
された。1866年には、大西洋横断海底電信ケーブルが敷設された。
日本では、情報を得て、国産の開発がなされていた。
公式の送受信は、1864年にペリー来航時に持ち込まれたものでなさ
れた。1869年、東京ー横浜間で電信電報サービス開始。通信網は急速
に数年で全国に普及した。
1871年(明治4年)、ロシアのウラジオストクと長崎の間に海底ケーブルが
敷設され、シベリア経由でヨーロッパと繋がった。更に欧州と米国とを繋ぐ
大西洋横断電信ケーブルによって、米国に繋がった。すなわち世界と通信が可能になった。
1871年に欧州を訪問した岩倉使節団は日本政府とのやりとりをこの回線を
使って行ったとのこと。
従って、1909-1913の時には、このモールス式通信(有線)が活発に使われ
ていたと思えます。
サラエボ事件などは、日本にはすぐに伝わったと思います。ただ、その事件
の性格上、国民にすぐに知らせたかどうか分からない。
なお、回線の制約から電報程度で、情報量の多い新聞雑誌などは、やはり、
郵送しかなかったでしょうね。
[No.7519]
Re: 古きをたずねて新しきを知る〜6
投稿者:GRUE
投稿日:2016/02/26(Fri) 17:02
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紋次郎さん、みなさん、こんにちは、
どうも難しい質問をしたようで申し訳ありません。博識の紋次郎さんが
既に調べられたことであろうと思ってお聞きした方が早かろうと思った
のですが、なかなか骨の折れる作業をされたようですね。
おっしゃるように私でも少し調べることはできます。で、一寸やってみ
ると
1)「椋鳥通信」の分析 山口 徹氏
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/5720/1/KJ00004174295.pdf
がありました。これは既に紋次郎さんも目を通しておられるように思え
ます。これで全体像はほとんど掴めそうです。
当時の国際通信技術はどんどん進歩しているようでそれを掴まないと
1909-1913の時点で何が使えたかは言えないでしょうね。
2)で、国際通信社ですが、一次大戦くらいまでは、3大通信社が独占
していたようです。 1870年に範囲を協定
a)アヴァス:フランス及びその領土、イタリア、スペイン、スイス、
ポルトガル、エジプトの一部、フィリピン、ラテン・アメリカ諸国
b)ヴォルフ:ドイツ及びその領土、オーストリア、オランダ、北欧、ロシア、
バルカン諸国など
c) ロイター:大英帝国、トルコ、エジプトの一部、極東(中国、日本)
日本はロイターの勢力圏にあった。
b)ヴォルフはドイツ系なので、一次大戦で負けたので転落
もう一つの必要な情報は、無線通信の進歩状況
1901年 マルコーニにより大西洋横断無線の成功
ですから、1909−1913年ではまだでしょうね。
もうひとつ、国際電話(電報も)。これは進歩の途中ですが、
まだ日本ー欧州間は実用的ではなかったのでは。
> メロウには、もしかしたら新聞雑誌、また通信関係の方も大勢いらっしゃるような気もします。あっしは、ジャーナリズムの方には疎い方です。奇特なお助け船が一艘でも、出て呉れるとありがたいのですが。(^^♪
同感です。教えてください。
> ※ネットの『相談』では、事件が王室に関するもので、わが国にも皇室があり、もし不慮の模倣犯でも出たらという気遣いから、記事は地味なあつかいになったのではないか、という回答もありやした。
オーストリア皇太子暗殺のニュースですから憚かられたかもしれませんね。
どうもありがとうございました。お疲れさまでした。
[No.7518]
Re: 古きをたずねて新しきを知る〜6
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2016/02/26(Fri) 13:12
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実はご存じかと思いますが、あっしは生来飽きっぽいたちで,また、鴎外さんともお付き合いが長いので、今度ばかりはちょっと疲れました。☆
そういっちゃあ何ですが、ふつうの書き手さんは一回読み切りが多いようですが、自分で云うのもおかしいですが、今回は6回までグアンバッテ書きました。(^O^)。それに、
お尋ねのようなことなら、すこし大きめの図書館などへ行けば、意外と早く解決するのでは。※
メロウには、もしかしたら新聞雑誌、また通信関係の方も大勢いらっしゃるような気もします。あっしは、ジャーナリズムの方には疎い方です。奇特なお助け船が一艘でも、出て呉れるとありがたいのですが。(^^♪
☆ 今は鴎外はうっちゃって、ぜんぜん別の本を読んでいるところです。また、いかに、むかし人間とはいえ、明治大正のひとの文章を読むのはあっしには、かなり、しんどいです。ふう。
※ネットの『相談』では、事件が王室に関するもので、わが国にも皇室があり、もし不慮の模倣犯でも出たらという気遣いから、記事は地味なあつかいになったのではないか、という回答もありやした。
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