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[No.7302]
「独逸日記」に、意外な記述〜読書余滴
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2015/09/29(Tue) 17:49
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[No.7301]
Re: ドイツと日本を結ぶものー日独修好150年の歴史-〜2
投稿者:GRUE
投稿日:2015/09/29(Tue) 11:28
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紋次郎さん、面白いお話のおまけありがとうございます。
> うっかりして、書き落としたが、なぜ150年かと思われた方へ。1862年、わが国幕府は(竹内)遣欧使節団をかの地に派遣しましたが、その前年の1861年、わが国とプロイセンは修好通商条約を結びました。それから、150年と云うことです。交渉の担当者は、わが方も幕府なら、先方も、まだドイツ誕生前のプロイセン王国でした。会場内には、この時、条約締結に活躍したドイツ方の、オイレンブルク伯爵の肖像画も飾られていました。
茶々を入れるようで申し訳ありませんが、年数の辻褄が少し合わないようですが
まあそれは小さなこと。
>
> 添付写真は、渡航した幕府使節団のカリカチュアですが、日本側も、ドイツ側も、いずれ劣らぬ『出る腹』に描かれています。漫画にするには『出る腹』が不可欠とでも考えたのでしょうか。かの地の「クラダラダッチュ」という風刺漫画誌に掲載されたそうですが、21世紀の今日、その現物が館内で見られることはオドロキです。
確かに漫画だからでしょうが、当時の日本人武士、こんなに「出る腹」の人は
少なかったと思いますね。ドイツは、ビール、ソーセージ、ポテトですから、
お腹が出やすいのはわかります。まあ、今の日本人も美食家になってますが。
[No.7300]
Re: 人生の転機
投稿者:ザックス
投稿日:2015/09/29(Tue) 11:27
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Grueさん、おはようございます。
過分の感想を頂き、恐縮するばかりです。
人生の総括は自分しか出来ないと思い、メモ的に書いたものです。
自分にとって大きなプラスは旧制高校の最後に間に合い、そこで短い期間でしたが
寮生活が出来たことと、軽い肺結核の初期で1年休学したことが、結果的には
高校を4年やったことになり大変良かったのだと考えます。(この間に画家や彫刻家と知り合えました。又、クラス会なども上、下2年分で倍出ています。)
これで少し早く生まれた人たちはかなりの人が戦争で亡くなっています。
1929年に生まれたことで幸運だったんだ、と思います。
滅多にない戦争の前と後を経験したことも計り知れないものがあったと思っています。
食い物が無くてお湯のような芋粥も啜りましたが・・・。それでもこの年まで生かしてもらっていますから。
[No.7299]
Re: 玉三郎の政岡
投稿者:GRUE
投稿日:2015/09/29(Tue) 11:17
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たか華さん、みなさん、おはようございます。
> 今月、歌舞伎公演「秀山祭」9月公演の夜の部の、通し狂言「伽羅先代萩」(メイボクセンダイハギ)を観に行った。
> これは伊達騒動を扱った狂言。
臨場感あふれるすごい観賞のご報告ですね。私も参加しているような錯覚に
陥りました。
ここまで入れ込めるのはなかなかのことと思いました。これを糧にして、更に
舞へ精進されるのでしょう。
ありがとうございました。
[No.7298]
Re: ドイツと日本を結ぶもの―日独修好150年の歴史ー
投稿者:GRUE
投稿日:2015/09/29(Tue) 11:10
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紋次郎さん、おはようございます。
> で、第一次で戦勝国になった日本は、ドイツ兵を日本国内の複数の捕虜収容所へ入れた。捕虜との関係は大体において友好的で、ドイツ人捕虜は、近隣の市民ともおおいに交流した。
>
> この「ドイツ展」で、あっしは、話には聞いていたが、実際には一度も見たことのない捕虜の作った音楽会のプログラムなどを実見することが出来た。彼らの中には入隊前、様々な職業についていたものが居り、そのおかげで近隣の市民は、彼らから種々の技術をじかに教わることが出来た。いわゆる技術移転である。多数のデータの中に、彼らの作った種々様々な印刷物が残されている。それが、当時は
>
> ガリ版しかなかったという割には、なかなか立派な出来で、どう見ても素人離れしている。捕虜の中には、ペンキ屋から大工、パン屋から肉屋と、何でも揃っていたらしい。
>
> 九州は久留米の収容所でのコンサートでは、なんと捕虜がワグナーの「パルジファル」を演奏したそうである。
1920年ごろのお話でしょうが、日本にドイツ人捕虜収容所があったとは、
初め知りました。
その後、ドイツとはなかよくなっていくので、待遇も結構自由だったのかも
しれませんね。
それにしても立派なプログラムですね。垢抜けしている感じがします。
(つづく)
[No.7297]
Re: 今日もまたまた歩いて
投稿者:GRUE
投稿日:2015/09/29(Tue) 11:04
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あやさん、みなさん、おはようございます。
相変わらずの超人(鉄人?)ぶりに舌を巻いています。(笑)
> 昨夜の呑み疲れ、寝不足などものともせずに、山坂を歩いてこれてよかったとは
> 思っているが、こんなことでいいのかと、わが体を心配しているところでもある。
1万歩を歩くのはなかなか大変です。私なんか滅多にない。5,6千というところ。
ところで、心配でもありますが、あやさんなら大丈夫かなとも思うところです。
一応気を付けながらやってくださいね。
[No.7296]
Re: 人生の転機
投稿者:GRUE
投稿日:2015/09/29(Tue) 10:57
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ザックスさん、みなさん、おはようございます。
> 私の人生の後半を簡単に纏めてみます。
輝かしい経歴は聞き及んでいましたが、こうして端的にまとめられて、改めて
感銘を受けるばかりです。それも直面された転機に自然に対応された結果であっ
たことも推測できます。
しかもこれほどの実績をお持ちにも関わらず、ご謙虚なのには、更に頭が下がり
ます。知識の広さ深さ、趣味の広さも抜群ですね。
いつまでも元気でご活躍を願っています。
ありがとうございました。
[No.7295]
人生の転機
投稿者:ザックス
投稿日:2015/09/28(Mon) 15:34
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私の人生の後半を簡単に纏めてみます。
産婦人科の医局で皆、がんやホルモンを専攻していましたが、私は人がやらないものを、と未熟児、新生児の仮死の蘇生法を色々試していました。その為のベットとか電気吸引器(口腔内の粘液を除去)や酸素ボンベを一体にした機器の開発など。
それが契機で当時の皇太子妃殿下のご出産に、東大産婦人科の小林隆教授の助手として宮内庁病院へ行き、その後毎年皇后様のお誕生日に伺う等大きく人生が変わったのでした。何が人生を変えるものか、分からないものですね。
[No.7294]
Re: 玉三郎の政岡
投稿者:くるくる
投稿日:2015/09/27(Sun) 22:12
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たか華さん
大変興味深く拝読させて頂いています。
以前、博多座で、染五郎の「伊達の十役」 を見ました。
染五郎が最もやりたかったという、政岡。
染五郎の政岡、いまいち心に響く思いがありませんでした。
たか華さんの、玉三郎の政岡の感動、拝読していてその場が見えるようでした。
これからも、たか華さん、楽しみにしています。
[No.7293]
ドイツと日本を結ぶものー日独修好150年の歴史-〜2
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2015/09/27(Sun) 16:48
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