画像サイズ: 307×410 (64kB) | ドイツ人捕虜関係の展示は、自分で見つけました。それはステージのあるモリシア広場の前のモリシアビルの中でした。ここにもやはり、ステージがあり、そこで第九の合唱などがありました。その脇に、第一次大戦時の習志野俘虜収容所の、詳しい様子が、数十枚の写真パネルで展示されていました。
よくもこんな古い写真が残っていたと、ビックリです。この収容所のドイツ軍兵士の数にも驚きます。説明板によれば、およそ1000人いたという話です。1000人もいれば、いろいろな技能を持った人たちが大勢いたとしても、べつにフシギではありません。
で、捕虜の中に、ソーセージを作る技術を持った、職人がいることに目を付けた日本の農商務省によって、カール・ヤーン他の兵士が、日本人に作り方を伝授し、さらに同省が講習会などを通じて、普及に努めたので、それが次第に日本全国に広まったとあります。
それが、今からちょうど100年も前のことだと聞くとまた、ビックリです。
それで、習志野市では同市を「日本ソーセージ発祥の地」と決め、声高らかに宣言したのであります。
当市ではさらに、広場の屋台で販売しているソーセージが、当時のレシピで作ったなどと宣伝し、屋台の幟旗にも、でかでかと書く紋だから、これが売れに売れて、本場のソーセージに負けず劣らず、ついに完売したということです。
あっしは専ら、ドイツの屋台のものしか、食べませんでしたが…。(^^♪
「習志野ソーセージ」の屋台は、習志野青年会議所が取り仕切っていたようです。
なお、こうした日本国内の収容所には、捕虜を虐待したところもあったでしょうが、同収容所の所長の西郷寅太郎は、西郷隆盛の嫡子で、この人は独逸に留学経験があったので捕虜のことを、非常によく理解していたといいます。 |