画像サイズ: 350×263 (31kB) | 夏目漱石の「三四郎」は、明治41年(1908年)に朝日新聞に連載された。主人公たる小川三四郎が、熊本の高等学校を卒業して、東京帝大に入るために汽車で上京するところから物語は始まる。私は作品の中に日露戦争がどう扱われているのか興味があったのであるが、車中である老人が、戦争未亡人と思われる女性に「自分の子も戦争中兵隊にとられて、とうとうあっちで死んでしまった。一体戦争は何のためにするのかわからない。大事な子は殺される、物価は高くなる。こんな馬鹿げたものはない」と言わせているのみで、人道主義とか、国家主義とか言った言葉は出てこない。まあ、当時の日本人は純朴?であったのかもしれない。
ただ面白いのは、車中で偶然会った広田先生という御仁が「いくら日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね。富士山よりほかに自慢するものがない」と言って、三四郎が「日本はこれから段々発展するでしょう」と言うと、一言「亡びるね」と言わせている。
その後の日本にどういう選択があったかについて、いろいろなことが言われているが、結果は漱石が言ったとおりになってしまった。
社会から一歩引いた文人の感想で、これをもって漱石が偉いというのは必ずしも当たらないと思うが、ただ、私はちょっと吃驚したものだ。
そもそも私が漱石を読み始めたのは、100年前の日本の文化・文明の様子が今と比較して面白いから、いうことだけである。
しかし、「吾輩は猫である」にもすごいことが書いてあった。未来学を奉じる登場人物の一人が「今や個性発展の時代であり、その結果みんな神経衰弱を起こしている。人と人とはお互い肩ひじを張りあわねば済まない。夫婦についていうと、夫の思い通りになる妻は妻じゃない人形だ。賢夫人になればなるほど個性はすごいほど発達する。発達すればするほど夫と衝突する。ここにおいて夫婦雑居はお互いの損だということになる。やがて、天下の夫婦はきっとわかれる」という。文明開化40年で漱石はこんな議論していた。
なにか心当たりがないわけではない。しかし、漱石の描く女性は結構魅力的だ。「草枕」の出戻りの「志保田の娘さん」は謎の女性で、風呂場の湯煙の中に全裸で立ち、「三四郎」の美禰子はヘリオトロープの香を漂わせて三四郎にもたれかかりながら「ストレイ・シープ(迷子)」とささやく。
(写真は秋の三四郎池 2017.2.11) |