Panさん & みなさん,こんにちは!
> 中学2年生の時が終戦ですから、田舎の中学校へ疎開の意味も兼ねて > 入った身にとっては苦難の時期でした。 > > 農繁期休暇と言うのがあって、農家の子供達は自分の家の作業に従事 > し、非農家の子供達は、学校の指定した農家の家に分散して寝泊まりの > 農作業に従事しました。 > > 何しろ鎌なんか持ったことの無い身ですから、他の人達の進行につい > て行けず焦るばかりですから、自分の鎌で左手の人差し指の第一関節を > 切り、血が止まらなくて困りました。 > > 浅い傷ですが、小川の流れで洗ったのが余計に悪かったですね。 > > 今もその傷跡が残っています。
大変でしたね。私たちは「女の子」(女学校でしたし)ですから、さほど 大変なことはありませんでしたが、兄が喧嘩か何かで肩に怪我をしたこと を覚えています。
私たちは鎌は各自自宅から持っていったのを記憶していますが、私などは 農家ではないのに鎌が自宅にあったのかな? その頃は食糧難で空き地さえ あれば畑にして作物をつくっていましたから鍬などはちゃんと農家並に揃え てありましたから、鎌も用意してあったのでしょう・・・それに、開墾して 小麦などがとれると、殻つきのままお店に持っていって小麦粉に交換しても らっていたように記憶しています(北九州の炭鉱地帯)。
> > そんなことがあったものですから、農村や農村に近い町場で育った > > 私くらいの年齢の人たちにはあまり珍しくもない風景だと思われます。 > > 刈り取った稲の乾し方には地方色がありますね。 > > また、刈り取ってから脱穀作業に入るまでの日数で乾し方も違いまし > た。 > > その干している間にも、稲藁から米粒に養分が移ると言う事で大切な > 期間と聞いていましたが、今はコンバインで刈ると同時に脱穀するする > よになり、その理屈は今も理解出来ないままです。
いろいろ農家の作業の仕方もずいぶん変化しているようですが、私には もう遠いことになって農村に行っても眺めているだけです。
まや
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