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[No.10292] <漫画>女性像の変遷たどる 石ノ森章太郎記念館で企画展 投稿者:男爵  投稿日:2017/11/28(Tue) 09:50
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<漫画>女性像の変遷たどる 石ノ森章太郎記念館で企画展

https://news.goo.ne.jp/article/mainichi/nation/mainichi-20171128k0000e040212000c.html


 特別企画展「ガールズコミックヒストリー展」が、宮城県登米市中田町の石ノ森章太郎ふるさと記念館で開かれている。
石ノ森をはじめ、男性2人と女性7人の漫画家が描いた原画・複製原画約100点と単行本約50冊を展示。
時代とともに変わる少女・女性像を伝える。

 展示されているのは、1953〜56年に「少女クラブ」に連載され「日本のストーリー少女漫画の第1号」と言われる手塚治虫の「リボンの騎士」のほか、石ノ森章太郎「龍神沼」▽水野英子「銀の花びら」▽里中満智子「アリエスの乙女たち」▽竹宮惠子「風と木の詩」▽大和和紀「あさきゆめみし」▽桜沢エリカ「メイキン・ハッピィ」▽西原理恵子「毎日かあさん」▽東村アキコ「東京タラレバ娘」などの原画や複製。


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当時 小学生から中学生の時代を漫画本を読んで過ごした私は
漫画を読むと、頭が悪くなるといわれたものです。
  (戦争と平和、風とともに去りぬ、嵐が丘 などもその後読みましたが)

漫画は目の敵にされ、一種の社会的偏見があった。

それが今では、漫画は日本の誇る文化ということになっています。
(中国や韓国が、われこそは漫画の発信地というようにふるまうのを、苦々しく思っている日本の女流漫画家もいます)

石ノ森章太郎記念館では
ビデオで 里中満智子が語る
「そもそも漫画を描くということが海のものとも山のものともわからない時に、漫画家になると言って宮城県から東京に飛び出していった石ノ森章太郎たちトキワ荘の若い漫画家たちは何て偉いんでしょう」

(父は漫画家になるのは猛反対。しかし、姉は石ノ森章太郎の夢を応援してくれた)
(その姉は上京後に持病の喘息で亡くなる。そのとき石ノ森章太郎はトキワ荘で一緒だった赤塚不二夫や水野英子と映画を見に行っていた。悔やむ石ノ森章太郎)

里中満智子も少女クラブの
手塚治虫「リボンの騎士」や、石ノ森章太郎「龍神沼」で
育った漫画家の卵だったのです。

大和和紀「あさきゆめみし」を読んで
女子大国文科に進む女子学生も多いのです。
大学図書館には、留学生のための「あさきゆめみし」英語版も置いてあります。


[No.10293] 赤塚不二夫ドキュメンタリー 投稿者:男爵  投稿日:2017/12/01(Fri) 08:12
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> 石ノ森章太郎記念館では
> ビデオで 里中満智子が語る
> 「そもそも漫画を描くということが海のものとも山のものともわからない時に、漫画家になると言って宮城県から東京に飛び出していった石ノ森章太郎たちトキワ荘の若い漫画家たちは何て偉いんでしょう」
>
> (父は漫画家になるのは猛反対。しかし、姉は石ノ森章太郎の夢を応援してくれた)
> (その姉は上京後に持病の喘息で亡くなる。そのとき石ノ森章太郎はトキワ荘で一緒だった赤塚不二夫や水野英子と映画を見に行っていた。悔やむ石ノ森章太郎)

昨日はテレビで偶然
「赤塚不二夫ドキュメンタリーがBSで、4人の女性たちから人生を紐解く」
を見ました。

http://natalie.mu/comic/news/239427

マザコンだった赤塚 (母の手に引かれ満州から奇跡的に引き揚げてきた)
嫁姑との毎日の葛藤の中  漫画が描けなくなる。

離婚した妻も、赤塚のことは心配していた。(赤塚は離婚後も生活費を送り続けたから嫌われていなかった)
新しい妻を押しつけた元妻

だいたいは知っていたことだったが
女性たちにポイントを置いていたから
赤塚にキャラクターなどのアイデアを提供した
アシスタントだった高井研一郎の重要な役割にふれていない。

アイデアの出なくなって困った赤塚はみんなを呼び出す。
赤塚の人柄を認めている仲間は、赤塚を見捨てられず彼の回りに集まった。

タモリを市中の芸人から引き揚げたのも赤塚で、だから葬儀の時
タモリは「私はあなたの作品です」と言ったのだ。

晩年、アル中で幻覚に襲われた赤塚 (体の表面に爬虫類が這うと言った)

しかし、死ぬまで酒は手放さず
これまたガンだった談志と飲みながら対談した。


酒が滅ぼした赤塚 もっとも辛くて飲まずにはいられなかったのだろうが。
酒で失敗し引退した横綱もいる。

みなさんもお酒に注意しましょう。