男爵さん、今晩は!
> 札幌バンド・横浜バンド・熊本バンド > これらの研究をライフワークとしている人を知っています。 そんなわけで私も耳学問しているのですが... > 耳学問なら私も負けないくらいに・・・・ なにしろ、戦後ほどない昭和30年前後は札幌在住で、札幌バンドの流 れを汲む人たちとは親しくしていましたので〜〜〜 それに、横浜バンド や熊本バンドの流れを汲む人たちも存じ上げていますので〜〜〜
> 道徳教育をするのに,アメリカ人にとっては聖書は必要なものです、日本もいずれ聖書を大切にする時代がくるにちがいないとクラークは黒田を説得したらしい。 > > やがて、二人は札幌農学校の学生たちにキリスト教教育をすることを認めるようになるのですが、はたから見ていると一種の腹芸のようなことをしたらしい。(教室で聖書のことを教えるのはやめて、日曜日にクラークのところに集まった学生の質問に答えるなど) > 日曜日はキリスト教徒にとっては教会で礼拝を守る日になっていますの で、クラークは日曜礼拝に学生が来るように奨励したのでしょう。日曜日 には礼拝をすると同時に日曜学校を開いて聖書の勉強をすることになって います。アメリカでもやっていることを日本でもやったのでしょう。
> ともかく、クラークは聖書の出エジプト記第二十章の最初の十七節を学生たちに暗唱させました。 そうクラークの手紙に書いています。 > > 私も棚から聖書を取りだして、出エジプト記を見ると > 人のものをとってはいけない、人を殺してはいけない等 > あたりまえのことが書いてあります。
聖書のこの箇所は「十戒」と言ってタイヘン大事なところです。でも 男爵さんが取り上げた箇所は最後のほうのもので、最初に書かれている のは二十章の第三節「あなたには、わたしをおいてほかに神があっては ならない」というところで、続く「あなたはいかなる像も造ってはなら ない」という語句も大事なところです。 まず最初に、この箇所が多神教的な日本人の神概念に受け入れられな いのではないかと思います。人を殺してはいけないなどという言葉は七 番目の戒めになっています。順番が遅いから軽く見ていいということは ありませんが、先ず最初に唯一神の信仰を求められるところに多くの日 本人が違和感を持つのではないでしょうか?
> どうも、日本の場合、宗教を敬遠するあまり、人としての道徳も遠ざけているような気がします。
日本人が宗教を敬遠しているとは思いませんし、人としての道徳を遠 ざけているとも思いませんが、一般的な日本人の宗教は「八百万の神」 を信じ、道徳は小学校時代から教え込まれた昔ながらの「修身」を頼り にしているだけと言っても過言ではないのではないでしょうか? 日本人にとっては「なにごとのおわしますかは知らねども勿体なさに 涙こぼるる」というのが宗教心かもしれません? 札幌バンドや横浜バンド、熊本バンドを論ずるには、唯一神の信仰を 理解しなければ深くは理解できないかもしれません。
まや
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