コンペイトウは漢字では金平糖と書きますが、もともとはポルトガル語です。1569年に宣教師のルイス・フロイスが二条城で織田信長に贈ったのが最初といわれています。当時、甘いものがなかったので、織田信長は大変喜んだそうです。江戸時代になると、長崎で作られ、幕府に献上されました。イボの数は36個と決められており、役人が1個1個数えたそうです。36は全宇宙(世界)を表す大切な数だったそうです。しかし、今は守られていません。「雑学子どもにウケる たのしい日本」 坪内忠太 新講社 多摩のけん
多摩のけんさん & みなさん、今晩は!> コンペイトウは漢字では金平糖と書きますが、もともとはポルトガル語です。 金平糖のことはテレビで紹介されたことがありますが、あの突起を作るために大変な作業をするのですね。子供のころはよくいただきましたが、最近も見かけると懐かしくて・・・ついつい手に取ってみたりします!(^^)!まや
まやさん & みなさん、今晩は!> 金平糖のことはテレビで紹介されたことがありますが、あの突起を作るため> に大変な作業をするのですね。子供のころはよくいただきましたが、最近も見> かけると懐かしくて・・・ついつい手に取ってみたりします!(^^)! 私も、こどもの頃(学校に入る前)食べましたが、学校に行くようになってからは 食べてないような気がします。 戦中、戦後は砂糖がなかったからだと思います。 色が白以外はピンク、緑など原色に近い、今でいえば毒々しい色だったと思います。 (記憶違いかもしれません) 多摩のけん
まやさん & みなさん、今晩は!> 金平糖のことはテレビで紹介されたことがありますが、あの突起を作るため> に大変な作業をするのですね。子供のころはよくいただきましたが、最近も見> かけると懐かしくて・・・ついつい手に取ってみたりします!(^^)! 今日、鎌倉に行ったのですが、金平糖を売っていました。 いろとりどりですが、原色で何かドクドクしいので、買いませんでした。 かわりに銘菓「半月」を買ってきました。 この「半月」は、製造元の「鎌倉五郎」以外では、銀座三越にしかないので なかなか手に入りませんね。 多摩のけん
多摩のけんさん、今晩は!> > 金平糖のことはテレビで紹介されたことがありますが、あの突起を作るため> > に大変な作業をするのですね。子供のころはよくいただきましたが、最近も見> > かけると懐かしくて・・・ついつい手に取ってみたりします!(^^)!> > 今日、鎌倉に行ったのですが、金平糖を売っていました。> いろとりどりですが、原色で何かドクドクしいので、買いませんでした。 私の記憶にあるかぎり、それに最近のテレビで紹介した金平糖はそれほどドクドクしい色ではなかったように思いますが・・・以下は金平糖のURLです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%B9%B3%E7%B3%96> かわりに銘菓「半月」を買ってきました。> この「半月」は、製造元の「鎌倉五郎」以外では、銀座三越にしかないので> なかなか手に入りませんね。 和菓子には手の込んだスバラシイものがいろいろとありますね。普及しないのは材料を準備するのが大変なうえに手間がかかる、その割に値段を高くは取れないのですから無理もないことだと思います。まや
まやさん、こんにちは> 和菓子には手の込んだスバラシイものがいろいろとありますね。普及しない> のは材料を準備するのが大変なうえに手間がかかる、その割に値段を高くは取> れないのですから無理もないことだと思います。 一所懸命作って、売れ残ったらどうするのか、 社員に安く買い取ってもらうのか、社員もそうそうは同じお菓子ばかり 安くても、買いたくないでしょうし、人ごとながら、心配しています。 多摩のけん