|
[No.44]
部屋を閉鎖します
投稿者:
投稿日:2014/08/23(Sat) 10:12
[関連記事] |
この部屋を閉鎖してアーカイブへ移します
[No.39]
訃報
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2014/03/05(Wed) 20:22
[関連記事] |
まだご記憶かどうか。実録・個人の昭和史の部屋に、第2次大戦で不幸戦争犯罪人にされ、東京は、巣鴨プリゾンで、重労働を伴う、つらい収容所生活を余儀なくされた方々の、魂の叫びである、俳句や和歌の数々。(ガリ版刷りの所内新聞に掲載されたもの)
これら貴重な資料をメロウのために提供された、野田絢子さん(紋次郎と小学校の同窓)が、3月2日、病のため急逝されたことを、女学校時代の親友、長崎美代子さんの、メールで知りましたので、ここに謹んでお知らせ申し上げます。合掌。
なお、長崎さんも、東京空襲をつづった貴重な記録「表参道が燃えた日」を伝承館に提供されている。
[No.35]
Re: 羽生の鍛冶屋さん、なんとか続きをお願いします!
投稿者:
投稿日:2012/03/04(Sun) 06:49
[関連記事] |
きょうのところでは「鉄筋」の仕事についておられた時のことが語られています。
14階の作業現場から見下ろした東京の街は
日本経済がアクセルをふかして急成長して行くような光景でありました。
ーーーとあります。
そういう時代もあったのですね。
みなさまも、二度と訪れるかどうか分からないあの時代の記録を
ぜひお寄せください。
[No.34]
羽生の鍛冶屋さん、2度目の職
投稿者:
投稿日:2012/03/01(Thu) 07:46
[関連記事] |
本田 裕様から、新たなご投稿をいただきました。
昭和43年、高度成長期の建設現場の状況が描かれています。
どうぞ、お読みください。
皆様も、ぜひ「高度成長期」の記録をご投稿ください。
[No.33]
お問い合わせをいただいています
投稿者:
投稿日:2012/02/29(Wed) 09:36
[関連記事] |
大阪府茨木市の方より、下記のお問い合わせをいただいています。
もし、手がかりになることをご存知のかたがありましたら、ご一報ください。
このように「ご親族のご最後の模様」を知りたいときは、
どういう機関に問い合わせるべきか、そちらも、ご存知の方は教えて下さいませ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本文:
私の伯父は海軍通信兵として昭和18年12月21日、本州南方海上にて戦死したようです。
どの船に乗艦していたか全く分かりませんでした。
ところが、最近日本海軍軍艦喪失図を親戚の方から見せてもらい調べたところ、昭和18年12月に本州南方方面で沈められた船は駆逐艦沼風だけだと分かりました。
沼風が沈んだのは12月18日で、戦死の公報日と3日のずれがありますが、12月に沈んでいる船は沼風一隻だけのようですので乗っていた可能性は高いと思います。
どうすれば、沼風の最期の乗艦名簿を見れるでしょうか?
ちなみに、伯父の名前は中西 敦(ツトム)です。
宜しくお願いします。
[No.32]
Re: 第三回は学徒出陣で入隊された
投稿者:
投稿日:2012/02/16(Thu) 08:15
[関連記事] |
> 第三回にご登場くださっている方は、あの明治神宮外苑の学徒出陣壮行会にもご出席
> しておられた江名武彦さんです。
学徒出陣で来られている方々ーーーといっても、20才を少し出たくらいの方々でしょう。
そういう若者が、更に年下で散らなくてはならない少年たちのことを話しているのですね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
仲間同士の会話でね、後席に乗る電信員のことを話しました。彼らは17歳、18歳なんですよ。予科練の甲の13期、乙の18期ですね。いちばん若いんです。飛行時間は我々と同じ位です。本当に可愛らしい少年なんですよ。どうして海軍は、この子達を殺さなきやいけないのか。電信員を連れて行かなくてもいいじゃないかと語り合いました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[No.31]
Re: 第三回は学徒出陣で入隊された
投稿者:
投稿日:2012/02/15(Wed) 08:05
[関連記事] |
> 第三回にご登場くださっている方は、あの明治神宮外苑の学徒出陣壮行会にもご出席
> しておられた江名武彦さんです。
今日掲載しました「余暇にアメリカ映画を観る」という箇所で、
江名さんがこんなことをおっしゃっています。
特攻といいましても、学徒出陣で、しかも海軍の場合ですと、今まで登場された方とは
少し違うように思いました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
我々は「鬼畜米英」というような憎しみの感覚はあまり持っていませんでした。どちらかというと、その頃の学生の多くは西洋文化に憧れて勉強しておりましたでしょ。ですから、そういう文化面ではアメリカとかヨーロッパに対してね、非常に親近感を持っていました。
[No.30]
第三回は学徒出陣で入隊された
投稿者:
投稿日:2012/02/11(Sat) 08:07
[関連記事] |
第三回にご登場くださっている方は、あの明治神宮外苑の学徒出陣壮行会にもご出席
しておられた江名武彦さんです。
私自身、あの雨の中の壮行会の模様は、ニュース映画でみた記憶があります。
海軍を志願された江名氏の、その後についてもぜひお読みください。
[No.29]
Re: 羽生の鍛冶屋さん、なんとか続きをお願いします!
投稿者:
投稿日:2012/02/10(Fri) 08:01
[関連記事] |
本田 裕さんから、
新設の「実録・個人の昭和史II(戦後復興期から高度経済成長期)」へ
「初めての職安」をいただきました。
職探し、大企業から中小企業への転職。
次回は、そこで出会った壮烈ないじめへと続きます。
高度成長期を支えた勤労者の記録、もっともっと多くの方からご投稿いただければ幸いです。
お待ちしています。
よろしくお願い申し上げます。
[No.28]
「あ、そうか、特攻か」・「特攻インタビュー」を
投稿者:
投稿日:2012/01/13(Fri) 08:30
[関連記事] |
前回の、江村氏のインタビューもそうでしたが、
読んでいて、映画などで見るような「特攻出撃風景」とはかなり違うように感じます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あ、これは特攻になるかも分かんないね、なんて話だったです。誰しもが映画で観るように天の一角を睨んで「ん!特攻やるぞ」っていうような雰囲気は全然ない(笑)。「あ、そうか、特攻か」っていうような調子です。毎日が夜間爆撃で出撃して帰って来ない者が多いから、我々だっていつ何処でどうなるか分からないわけで、
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
毎日つづく猛攻撃。
終戦が近い時期には、航空機もかなり粗悪なものになってきていて
それを、旧式な航法で
短期養成で運転未熟な要員も混じえて飛ばして
敵の優秀な爆撃機に立ち向かっていくわけですから
はやくいえば「毎日が特攻」だったのでしょうね。
| 1 | 2 | 3 | 4 | |