この記録は、高崎 廣様のご家族のご承諾を得て転載させていただくものです。
「勝鬨丸」は、 1920年 米国で進水、 1924年 西回り世界一周航路に就航 するなど栄光の日々を過ごしたあと 1941年 日本軍に拿捕された 1942年 上海で日本郵船に貸下 1944年 9月:海南島東方海域の南シナ海で米潜水艦パンパニトによって 撃沈され、連合国捕虜431人を含む500人近い犠牲者を出し とその歴史を閉じました。
「敵国アメリカ」から拿捕した船であり、アメリカによって轟沈された、 しかも、轟沈によって多数の連合軍側の捕虜を道連れにしてしまった ーーーという「日米戦争」そのもののような船です。
終戦から66年、その時代に生きた人間も、戦争に翻弄されましたが 「船」だって、やはりこんな運命をたどったのですね。
轟沈させられたときに、この船に乗っておられた高崎様の臨場感あふれる貴重な記録です。 どうぞ、お読みください。
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