1943年10月 東京・成城の柳田国男の家で座談会が開かれた。 そこに集まった者やそこにはいなかったが 柳田の主な研究仲間は以下の通りである。 台湾の台北帝国大学教授金関丈夫(かなせきたけお) 朝鮮の京城帝国大学教授秋葉隆 満州の建国大学教授大間知篤三
柳田は大東亜民俗学という、日本人学者を中心とした植民地的民俗学を提唱したと、この著者は述べている。 そして柳田が、雑誌「朝鮮民俗」に日本語と朝鮮語で書かれた論文が混在していることを例に、この研究に置いては、言葉の壁があることに言及している。 しかし、その国の民俗学を学ぶ者なら、文化とか民俗語彙を重視しなければならないから、日本語以外の中国語や朝鮮語も認めないといけないのではないか と著者は述べている。
柳田国男は、日本の民俗と、外国の民俗を比較するのはまだ時期尚早(しょうそう)であり、 将来の目標とすべきであると言っている。 柳田の大東亜民俗学とは、日本を中心に放射状に広がる民俗学であり、 いわゆる植民地民俗学であると解説する著者。
それなら、中国の伝統的な、中華思想に基づいた民俗学も同様に 一種の植民地民俗学とみなせるのではないのか。 世界地図が、その国が中央に描かれるように、無意識のうちに その国の回りをとりまく国々の影響を入れた民俗学とは、自己中心的に とらえられがちである。
ジアのそれぞれの国の民俗学を同列に扱い、客観的に比較しながら研究することは難しいと思う。 そこには、各民族の歴史観やプライドや政治の思惑が控えているから。
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