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[No.584] 大東亜民俗学の虚実 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/15(Thu) 17:48
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1943年10月 東京・成城の柳田国男の家で座談会が開かれた。
そこに集まった者やそこにはいなかったが
柳田の主な研究仲間は以下の通りである。
 台湾の台北帝国大学教授金関丈夫(かなせきたけお)
 朝鮮の京城帝国大学教授秋葉隆
 満州の建国大学教授大間知篤三

柳田は大東亜民俗学という、日本人学者を中心とした植民地的民俗学を提唱したと、この著者は述べている。
そして柳田が、雑誌「朝鮮民俗」に日本語と朝鮮語で書かれた論文が混在していることを例に、この研究に置いては、言葉の壁があることに言及している。
しかし、その国の民俗学を学ぶ者なら、文化とか民俗語彙を重視しなければならないから、日本語以外の中国語や朝鮮語も認めないといけないのではないか
と著者は述べている。

柳田国男は、日本の民俗と、外国の民俗を比較するのはまだ時期尚早(しょうそう)であり、
将来の目標とすべきであると言っている。
柳田の大東亜民俗学とは、日本を中心に放射状に広がる民俗学であり、
いわゆる植民地民俗学であると解説する著者。

それなら、中国の伝統的な、中華思想に基づいた民俗学も同様に
一種の植民地民俗学とみなせるのではないのか。
世界地図が、その国が中央に描かれるように、無意識のうちに
その国の回りをとりまく国々の影響を入れた民俗学とは、自己中心的に
とらえられがちである。

ジアのそれぞれの国の民俗学を同列に扱い、客観的に比較しながら研究することは難しいと思う。
そこには、各民族の歴史観やプライドや政治の思惑が控えているから。


[No.585] Re: 大東亜民俗学の虚実 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/15(Thu) 17:52
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そうそう
この本は 川村湊:「大東亜民俗学」の虚実、講談社選書メチエ80
です。

李能和は朝鮮巫俗考を漢文で書いた。
他の人の説明によれば、一民族の民族主義(ナショナリズム)は、
常にインターナショナリズム(国際主義)との関わりにおいて形成されるべきものであることを証明したようなもの。
漢文は東アジアにおける国際語なので、ナショナリズムを主張するためには、
国際語の漢文で書くことが必要と考えたらしい。
つまり、岡倉天心や新渡戸稲造が、英語で民族主義的な著作を書いたようなもの。

これに対して、日本の国学は、漢意(からごころ)を否定し、和魂(やまとだましい)を強調したので、
本居宣長などはつとめて漢字を使わず、大和言葉を使った和文脈の文体を工夫した。
だから、今の韓国においても、漢字を使わず、ハングル文の氾濫が見られるのだ。

崔南善「薩満教答記」  薩満教(シャーマニズム)
この本は同じ朝鮮巫俗を扱いながら、ハングル文で書かれた。
朝鮮固有の民族的宗教として今また民間信仰の主柱となった巫俗は、
実は東北アジアの全国民間に共通する信仰として、
学者たちがシャーマニズムと呼ぶ原始宗教の一種なのである。

なるほど モンゴルも満州族もそうだ。
日本の卑弥呼に認められる巫女の伝統も、恐山のイタコもみなこの系統。

中国の儒教・道教的な文化に対する、薩満教(シャーマニズム)を
見直すことで、自分の民族の独自性を究明すること。
これは日本にも、朝鮮にも、モンゴルにも必要なことかもしれない。


[No.586] Re: 大東亜民俗学の虚実 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/15(Thu) 17:57
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クグツ 傀儡 
こんなに歴史があったとは。
人形浄瑠璃の研究をしている人もいるんでしょうね。

朝鮮の楊水尺と日本のクグツ、朝鮮のムーダンと日本の巫女
それらの同源性は学問的に興味がある。

広大、社堂はクグツ集団と同じような漂白の芸能集団
男社堂(男寺堂)は芸能と男色を、女社堂は歌舞や売春や占トを行うなど、クグツとクグツ女(遊女)ときわめて似た関係にあった。
男女の社堂が夫婦として移動することも少なくなく、
芸能民と遊女と巫女は、朝鮮ではきわめて近い関係のところにいる
賤視された集団だった。

日韓の芸能、シャーマニズム、祭礼などの交流や影響関係を指摘する学者は少なくないという。

偶人(人形)を使う傀儡子の芝居は、
中国の漢末(2世紀)になると葬礼からはなれ宴会で楽しまれた。
今でも、北京、四川、広東のものが有名である。
ついマリオネットを連想する。

日本の場合、人形を回したり今様を歌ったりして
漂泊した一種の芸能民。

大江匡房「傀儡子記くぐつき」
寛治年間(1087‐94)以降の成立。
傀儡子(傀儡)は、元来は人形を操って生計を立てる芸人を指していたようだが、同時に歌舞、売春などもする遊女のようなものであった。

彼らは水草を追って移動する流浪の徒であり、男は弓馬を使って狩猟し、
人形を舞わせ手品めいたこともする。
女は厚化粧をして歌ったり舞ったり時には媚を売る。
生活は不安定であるが、流浪生活ゆえ課役徴税は受けない。
夜は百神を祭って鼓舞する。


[No.587] Re: 大東亜民俗学の虚実 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/15(Thu) 18:03
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芸能民と遊女と巫女は、朝鮮ではきわめて近い関係のところにいる
賤視された集団だった。

日韓の芸能、シャーマニズム、祭礼などの交流や影響関係を
指摘する学者は少なくないという。

横溝正史の獄門島
 この中国筋にはカンカン叩きという筋のものがある。
 四国の犬神、九州の蛇神、それとは少しおもむきが違うが、
 普通の者と交わりができぬものとしてある。
 いわれを話すと、なんでも陰陽師安倍清明が、中国筋へくだって
 来たとき、供のものがみんな死んでしまった。
 そこで晴明は、みちばたの草に生命を与えて人間として、
 これをお供にしてご用をはたした。
 さて京へ帰るとき、もとの草にもどそうとすると、
 そのものどものいうことに、せっかく人間にしていただいたのだから、
 このままでおいてくださいと頼んだそうだ。
 そこで晴明もふびんに思い
 そのまま人間にしておくことにした。
 だがもとをただせば草だから、晴明は祈祷の術を教えて、
 これをもって代々身を立てよといい聞かしたという。
 それで、その筋のものを草人、一名カンカン叩きといって、代々祈祷
 をわざとしている。
 根が草のことだから、人交わりはできぬというので
 普通の人は忌み嫌う。
 お小夜はその筋のものだというが、嘘かほんとかわしは知らぬ。
  (犬神筋〉犬の霊を神としてまつる家筋のこと。
   犬神筋は、自分が好ましくないと思う者に犬神を憑(つ)けて、
   病気や死に至らしめることができると信じられている。
   ひとたび犬神をまつると、末代までその(筋の)家から離れることがなく、
   しかも縁組を通じて広がると信じられたので、犬神筋との婚姻はきらわれた。

伊豆の踊り子も身分の卑しい旅芸人なのだと
土地の人が主人公の学生に教えるのも、こういう伝統があるからだろうか。


[No.588] Re: 大東亜民俗学の虚実 投稿者:   投稿日:2011/12/15(Thu) 18:25
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男爵さん

> クグツ 傀儡 
> こんなに歴史があったとは。
> 人形浄瑠璃の研究をしている人もいるんでしょうね。
> 日本の場合、人形を回したり今様を歌ったりして
> 漂泊した一種の芸能民。


西宮神社(えべっさん)の近くに「傀儡師の像」があります
人形芝居発祥の地といわれています

http://blog.goo.ne.jp/kimmy_v-kobe/e/048d7ca67e3b6fad1bf416da4cbb94a3

西宮といえば、えべっさんと甲子園と宮水が有名ですが、市民でさえこれを
知っている人は少ないようです

       さんらく亭@甲子園


[No.589] Re: 大東亜民俗学の虚実 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/15(Thu) 19:00
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さんらく亭さん
よいことを教えていただきました。

> 西宮神社(えべっさん)の近くに「傀儡師の像」があります
> 人形芝居発祥の地といわれています
>
> http://blog.goo.ne.jp/kimmy_v-kobe/e/048d7ca67e3b6fad1bf416da4cbb94a3
>
> 西宮といえば、えべっさんと甲子園と宮水が有名ですが、市民でさえこれを
> 知っている人は少ないようです

さっそく見てみました。
>こうして全国の人形芝居のルーツとして隆盛を極めた西宮の傀儡師は
>残念ながら江戸末期には数件にまで減り
>明治時代の中頃に最後の傀儡師・吉田小六氏が廃業してからは完全に姿を消す事となりました。

しかし
1984年には国立文楽劇場が完成し
2003年には、「人形浄瑠璃文楽」が「人類の口承及び無形遺産の傑作」と宣言された(ユネスコ世界無形文化遺産)
のだから
よかったですね。