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[No.485] 新聞記者夏目漱石 投稿者:マーチャン  投稿日:2011/12/07(Wed) 21:44
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 東京帝国大学教授目前の漱石先生先生、朝日新聞にスカウトされて結構乗り気だったようです。

 月給二百円という破格の待遇でお話があったにも関わらず 
 ちゃんと下記のような「問い合わせ」をしておられるところを拝見すると、
 世間知らずの「甘ちゃん」ではなさそうです。 

 「手当月額如何、並びにその額は固定するか、あるいは累進するか」
 「退隠料あるいは恩給」

 新聞社側も、漱石先生が亡くなるまで、よく面倒をみていました。

 また、漱石先生も、単なる「小説担当」ではなく
 「文芸欄(現在の「学芸欄」のようなものでしょうか)」
 を創設して「論評」や「随想」「美術評」「音楽評」などを掲載することも
 含め「かわら版」から脱皮し「クオリティーペーパー」に
 近づけようという構想をお持ちであり、その実現にも努力された。

 新聞社が、文士・文化人による講演会を各地で開催する
 (ある意味で現在のカルチャーセンターの走り?)
 にも積極的に協力しておられた。

 
 この平凡社新書の一冊には、こういう「新聞小説家漱石先生」にまつわる
 数々のエピソードとともに、同時の新聞業界事情や時代背景もよく描かれています。

 筆者の 牧村健一郎氏は朝日新聞社の社員であった方です。
 
 なかなか面白いですよ。
 


[No.487] Re: 新聞記者夏目漱石 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/08(Thu) 06:43
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マーチャン

>  東京帝国大学教授目前の漱石先生先生、朝日新聞にスカウトされて結構乗り気だったようです。

>  また、漱石先生も、単なる「小説担当」ではなく
>  「文芸欄(現在の「学芸欄」のようなものでしょうか)」
>  を創設して「論評」や「随想」「美術評」「音楽評」などを掲載することも
>  含め「かわら版」から脱皮し「クオリティーペーパー」に
>  近づけようという構想をお持ちであり、その実現にも努力された。

新聞といえば
石川啄木は特に釧路でその才能を発揮して
新聞の売り上げに貢献したようです。

また
徳富蘇峰の国民新聞の「国民文学」欄では
高浜虚子らが担当して、小宮豊隆、安部能成など、漱石門下生なども協力
連載小説では、徳田秋声が「新世帯」、上田敏が「渦巻」を発表したほか
高浜自身2作を発表しました。
また、森鴎外がイプセン「ジョン・ガブリエル・ボルクマン」の訳を発表をしたようです。

それから
思い出すのは国木田独歩です。
徳富蘇峰の「国民新聞」の記者となります。
日清戦争に海軍従軍記者として参加し、弟・収二に宛てた文体の「愛弟通信」をルポルタージュとして発表し、「国民新聞記者・国木田哲夫」として一躍有名となるのです。

日清戦争従軍記者・招待晩餐会で、日本キリスト教婦人矯風会の幹事 佐々城豊寿の娘・信子と知りあい、熱烈な恋に落ちるが、信子の両親から猛烈な反対を受けてしまう。
独歩は、信子との生活を夢見て単身で北海道に渡り、僻地の田園地帯に土地の購入計画します。「空知川」はこのことを綴った短編です。

結局、独歩と信子の恋愛は失敗し、有島武郎の「或る女」として小説に残されます。


[No.521] 明治末の新聞で批判された夏目漱石 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/12(Mon) 07:10
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昭和30年代に全国的な漫画批判がありました。
漫画ばかり読んでいると馬鹿になる。

同じようなことを明治末にも言われたことがあります。

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マンガは悪書だと騒がれていたその時から半世紀ほど前
今から遡ること100年ちょっと前、明治末期の新聞にこんな記事が載せられていたという。

近年の子供は、夏目漱石などの小説ばかりを読んで漢文を読まない。これは子供の危機である。

歴史は繰り返される。文豪の作品もまた、悪書だったのである。
      (大野茂:サンデーとマガジン、光文社新書400)

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